ポスト・ハードコア~初期エモの影響を強く感じさせる、直接的な快楽を避けるかのごとき展開、ポスト・パンク~オルタナティヴの歴史を凝縮したかのようなギター・サウンド。僕はロストエイジを聴くといつも、ロックミュージックが持つ肉体性・衝動性と、その快楽をある種否定するような知性の衝突に興奮してしまう。本作は自身の運営するTHROAT RECORDSから3枚目のオリジナル・アルバム。

本作をどんな作品か説明するのは正直難しい。前作『ECHOES』における歌がハッキリと聴こえるサウンド・プロダクションに比べれば、今回は激しいバンド・サウンドの裏側にボーカルが聴こえ、初期に近い印象を受ける。隙間がある音作りよりもギター・ノイズで空間を埋めている楽曲が目立つ。「Nowhere / どこでもない」を聴くと過去作の『PLAY WITH ISOLATION』を思い出す。しかしインタビューでは本人達は「歌モノ」とテーマとして作ったとのことで、「Flowers / 路傍の花」を聴くと比較的ポップな方向性だった『GO』を思い出さずにはいられない。つまりは、ギター・ノイズに塗れてても、クリーン/アコースティック・ギターが寄り添っていても、そこに五味兄が紡ぐ独特の切ないメロディーがある。実はこれこそがロストエイジの最大の魅力であり、本作はその要素を意識的に集約させた作品なのだと思う。今回、リフ主体のハードロック的なアプローチがほぼ無くなり、Vo.五味兄の絶叫も少ないのも、その結果なのだろう。

そして歌詞においては従来の、直感的で意識がフラッシュバックするような言葉を書き付けるような方向性に加えて、ラストの『Good Luck / 美しき敗北者達』に象徴されるように、滅びたもの、朽ち果てていったもの、もしくは別れに対するリリックが多く散見される(この曲のアルペジオやアウトロの壮絶なノイズの洪水をbloodthirsty butchersっぽく感じるのは偶然ではないだろう)。

ただ、これは単純なレクイエムではないと僕は受け取った。僕は最近、敗北していった者たちについてよく考える。負けても、人生は続くのだ。バンドが売れなくて解散しても、音楽を辞めても、バンドが一発屋として消費されても、人生は続くのだ。センターで活躍するトップアイドルの裏に、48人の中にすら入れなかったアイドル、その中にすら入れなかった地下アイドルがいる。音楽や芸能に限った話ではない。競争と弱肉強食は止まらない。では、敗北者たちは、砕け散った夢や想いとどう向き合っていけばいいのか。そしてだれが敗北者の墓に、手を合わせるのか。彼らの想いは、価値が無いものなのだろうか?

そんな問いに、本作が何か一定の答えを提示してくれるわけでない。しかし、ロストエイジはそんな敗北者への祈りを確実に本作に込めたのだ。ロックンロールが家系図のように続いていく文化ならば(僕はそう信じて疑わないが)、敗北者の想いも彼らのようなバンドが受け継いでいくはずだ。たとえ「亡骸を愛して/幻を見ている」(Nowhere / どこでもない)と言われようとも、それがロックンロールだと、僕は信じている。

【Writer】たびけん(@02tabiken02)

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