最終更新: 2022年8月14日

ザ・リバティーンズ(The Libertines)の来日が2022年のサマソニで決定していたが、残念ながらキャンセルとなった。

本記事では20周年となる2002年のデビューアルバム『Up the Bracket』より楽曲「Radio America」を和訳し、BELONG独自の解釈で内容を考察している。

楽曲「Radio America」を通してリバティーンズが表現する愛のメッセージとは?

ザ・リバティーンズとは

The Libertines(ザ・リバティーンズ)トリミング
ザ・リバティーンズ(The Libertines)は2000年ごろからイギリスで活動を始めたバンドである。

音楽ジャンルとしてはガレージロック・リバイバルというムーブメントの一端を担うバンドとされており、同時期に活躍したThe Strokesと対を成すように扱われる。

メンバーは以下の通りである。
・ピート・ドハーティ(Vo./Gt.)
・カール・バラー(Gt.)
・ジョン・ハッサール(Ba.)
・ゲイリー・パウエル(Dr.)

またザ・リバティーンズはフロントマンのピートによる破天荒な行動が影響し、約5年ほどの短い期間で事実上の解散となったが2010年、再結成を果たし2015年にはサード・アルバム『リバティーンズ再臨 (Anthems for Doomed Youth) 』をリリースしている。

Radio America

The Libertines 1stアルバム『Up the Bracket』

楽曲「Radio America」は2002年にリリースされたザ・リバティーンズ(The Libertines)のファーストアルバム『Up the Bracket』に収録されている。

当時、「Radio America」に対してはメンバー内でも賛否が分かれたと言われている。

特に収録反対していたのはギタリストのカールであったが、彼の抱えていたピートからの借金をチャラにする条件で、無理矢理ピートがアルバムに入れたという逸話が残っている。

いかにもリバティーンズらしいエピソードである。

そんな「Radio America」はアコースティック調の穏やかな曲である。

普段から破天荒でパワフルなサウンドを奏でるリバティーンズが持つ別の側面という見方で「Radio America」を捉えても面白いかもしれない。

ザ・リバティーンズ(The Libertines) – Radio America

Radio America 和訳

ザ・リバティーンズ(The Libertines)の楽曲「Radio America」について和訳し、解説していく。

電話がかかってきたら
レディオ・アメリカを通して呼びかける
アメリカ全土を横断するんだ、君を呼ぶ
そうさ、レディオ・アメリカ中を通して呼びかける
アメリカ全土を横断するんだ

“If I get the call
I will call across Radio America
Right across America, I will call
Yes, I will call all across Radio America
Right across America, I will call”

引用元:ザ・リバティーンズ(The Libertines)「Radio America」歌詞(Genius Lyrics)

必要なコールなんだ
私の愛をあなたに届ける為に

“If call I must do
To take my love, my love to you”

引用元:ザ・リバティーンズ(The Libertines)「Radio America」歌詞(Genius Lyrics)

可愛い女の子が搭乗している
彼女がここまで降りてくる
アフリカも中国もオーストラリアだって
連れてってあげよう
ニュー・メキシコでも
ニュー・ブライトン、東京も
招待しよう

“There a lovely young girl on aboard
Walks down here
And all across Africa, China, and Australia
I will call
Call you down in New Mexico
In New Brighton and Tokyo
I will call”

引用元:ザ・リバティーンズ(The Libertines)「Radio America」歌詞(Genius Lyrics)

必要なコールなんだ
私の愛を皆に伝える為に

“If call we must do
To take my love, my love to you”

引用元:ザ・リバティーンズ(The Libertines)「Radio America」歌詞(Genius Lyrics)

もしかすると
今が君にとって最高の日々なのかもしれない
古き友人
君はまた危険を冒したのか
君は再び腕を切りつけたのか

“For well it may hap’ that these, are they
Your happiest days
Oh my, good old friend
I see you chanced your arm again
You cut you arm again”

引用元:ザ・リバティーンズ(The Libertines)「Radio America」歌詞(Genius Lyrics)

赤面の大統領
女王陛下と共にアフタヌーンティーを嗜んだ
古い王宮にあるスクリーンで
昔の映画を観ていた
“なんて可哀想”と泣き叫ぶかのように彼女は雨の中足を滑らせた
貧しいダンサーの少女は二度と踊ることは無い
それらは伝達方法なのだそうだ
愛を運び、あなたに届けるための
君だけにだよ
そう、これはトランスミッション
愛を運び、君の元へ届ける

“Red faced president
Took afternoon tea with her majesty, the Queen
And they watched old films flicker
Across the old palace movie screen
Crying ‘what a shame’ as she slipped in the rain
The poor dancing girl she won’t dance again
And they tell me this was a transmission
To take my love, my love to you
And only to you
Yes, this was a transmission
To take my love, my love to you”

引用元:ザ・リバティーンズ(The Libertines)「Radio America」歌詞(Genius Lyrics)

Radio America 和訳まとめ

ザ・リバティーンズ(The Libertines)の楽曲「Radio America」は“Call”という単語の意味を膨らませて壮大に愛を伝える歌詞のようだ。

“Call”という単語は“電話をかける”の意味で使われる事が多いが、それがどれだけ距離が離れていても繋がるように、“どこに居たって愛を伝える”というニュアンスで歌詞中では“Call”が使われているように見える。

そして大きな大陸のメタファーとして“アメリカ”が用いられており、そのアメリカ全土に張り巡らされたラジオ電波という意味で、曲名の“Radio America”という言葉を使用しているのではないかと考察した。

また“Radio America”は実際にアメリカに存在するインターネットラジオである。

よって「Radio America」では全体を通して“物理的な距離が存在しても電波に載せて愛を伝える”という一貫したテーマがあるが、歌詞の後半では電波の送受信を意味する“transmission”という単語を用いている。

これによって愛という人間的な、温かみのあるものに対して、機械的で非人間的な印象を受ける“転送”という言葉を用いているのが詩として魅力的に感じた。

この機械的なニュアンスは強い意志を感じさせ、それによって“愛を伝える”という行為の確実性が増すというのが面白い歌詞だと思った。

Radio America作品クレジット

ザ・リバティーンズ(The Libertines)の新曲「Radio America」のクレジットは下記となっている。

プロデューサー:Mick Jones
作詞・作曲:Pete Doherty & Carl Barât
リリース日:2002年10月14日

ザ・リバティーンズアルバム作品

3rdアルバム『Anthems for Doomed Youth』

Anthems for Doomed Youth
発売日: 2015年9月11日
フォーマット:Mp3、CD、アナログ
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2ndアルバム『The Libertines』

The Libertines(2nd Album)
発売日: 2004年8月30日
フォーマット:Mp3、CD、アナログ
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1stアルバム『Up the Bracket』

The Libertines 1stアルバム『Up the Bracket』
発売日: 2002年10月14日
フォーマット:Mp3、CD、アナログ
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ザ・リバティーンズバンドプロフィール

The Libertines(ザ・リバティーンズ)

“2002年、ザ・リバティーンズはデビュー・シングル「What a Waster」でThe Storokes、The Hives、The Vines、Dovesらと競うようにロックバンドの期待の新人として注目され始めました。Suedeのバーナード・バトラーのプロデュースによるこの曲は、6月にイギリスのトップ40に入り、NME誌はリバティーンズをイギリス最高の新人バンドに選出しました。両A面曲の「I Get Along」はBBC Radio 1でSingle of the Weekを獲得しました。2001年12月にラフ・トレードと契約したロンドンのバンドは、カール・バラット(Vo./Gt.)、ピート・ドハーティ(Vo./Gt.)、ジョン・ハッサル(Ba.)、ゲイリー・パウエル(Dr.)の4人組だった。『Up the Bracket』は2003年3月に全米でリリースされ、シングル「Time for Heroes」はUKチャートで勢いを増しました。

同年春にはコーチェラ・フェスティバルに出演し、彼らの躍動感溢れるライブは全米でも話題となった。2003年6月、ピート・ドハーティがヨーロッパ・ツアーに姿を見せなかったことで、バンドの不安定なケミストリーは狂い始める。リバティーンズの他のメンバーはツアーに参加したが、ドハーティは別のグループ、Babyshamblesを結成した。

翌月、リバティーンズのメンバーが日本ツアー中に、ドハーティはバラットのアパートに侵入し、ハーモニカ、ノートパソコン、アンティーク・ギターなどを盗んだとして逮捕された。8月、バンドのシングル「Don’t Look Back into the Sun」が大ヒットしたのと同じ頃、ドハーティは有罪を認め、ヘロインとクラック・コカインの中毒も告白し、9月には6ヶ月の実刑判決が下された。しかし、控訴により刑期は2ヶ月に短縮され、10月初旬に出所し、同月末のRough Trade 25th anniversary showにリバティーンのメンバー4人で出演した。11月には、ドハーティは自身のアパートで、リバティーンズとBabyshamblesの曲をミックスした2つのライヴを行った。バンドは2004年を地元での一連の公演で締めくくり、フランスで新曲を書き、レコーディングすることから2004年をスタートさせた。

この年最初の英国公演となったロンドンのBrixton Academyでの3日間の公演は、ドハーティーが最後の演奏中にギターを壊してステージを去るという、カオスな展開となった。バンドがレコーディングを続ける中、ドハーティとバラットは友人ピーター・ウルフことウルフマンのシングル「For Lovers」にも参加し、この曲はサプライズ・ヒットとなり、リバティーンズ関連のリリースとしては最大のヒットとなった。一方、2004年4月、Babyshamblesはセルフタイトルの限定版デビューシングルをリリースした。同月末、バンドは伝説のニューウェーブバンド、The Only Onesのピーター・ペレットとステージで共演し、「Don’t Look Back Into The Sun」とオンリーワンズの名曲「Another Girl, Another Planet」を披露している。

しかし、5月になると、リバティーンズの未来はまたもや厳しいものになった。ドハーティはロンドンのプライオリーなどのリハビリ施設に立て続けに入退院を繰り返した。ドハーティはロンドンのプリオリーなどのリハビリ・クリニックに立て続けに入院・通院しており、そのためリバティーンズは6月のLove Music Hate Racismコンサートへの出演をキャンセル。同月に行われたグラストンベリー、ワイト島、モリッシーがキュレーターを務めたメルトダウン・フェスティバルへの出演もキャンセルされ、ドハーティはタイのタムクラボック僧院のリハビリ・プログラムに参加し、数日後、バンコクに向かった。6月中旬にロンドンに戻った直後、ドハーティは交通違反でロンドン警察に拘束された。他のメンバーはドハーティが依存症をコントロールできるようになれば、バンドに再加入することを歓迎する、と述べた。

リバティーンズは、T in the Park Festivalへの出演を含む今後のライブのために、これからDirty Pretty Thingsを結成することとなるメンバー、アンソニー・ロッソマンドをドハーティーの代役として起用した。一方、ドハーティは一連のソロ・ライヴとウルフマンとの日程を組んだが、8月上旬のいくつかの公演に姿を現すことはできなかった。リバティーンズのセルフタイトルのセカンドアルバムからのデビューシングル「Can’t Stand Me Now」はイギリスのチャートで2位となる。8月中旬、ドハーティは裁判所に出頭し、攻撃用武器所持の罪を認めた。同月末、セカンド・アルバム『The Libertines』がリリースされ、ドハーティを除いたバンドは、そのアルバムを引っ提げて同年秋に英国と米国でツアーを行った。一方、ドハーティはBabyshamblesに力を注いでいた。バラットはリバティーンズのドラマーであるゲイリー・パウエル、セカンド・ギタリストのアンソニー・ロッソマンド、Cooper Temple Clauseのベーシストであるディズ・ハモンドと共に、Dirty Pretty Thingsを結成した。2006年『Waterloo to Anywhere』、2008年『Romance at Short Notice』の2枚のアルバムを発表後、バンドは解散した。

2009年、バラットとゲイリー・パウエル、ドハーティと共に、ロンドンのリズム・ファクトリーで行われたプロモーターJohnny Sedassyのトリビュート・ショーでリバティーンズを再結成し、1年後にはフルバンドでリーズとレディング・フェスティバルでのライブに参加した。2010年、バラットはセルフ・タイトルをリリース。2015年にはサード・アルバム『Anthems for Doomed Youth』をリリース。”

引用元:ザ・リバティーンズ(The Libertines)バンドプロフィール(Allmusic)

ザ・リバティーンズ代表曲(Youtube)

  • ザ・リバティーンズ(The Libertines) – Don’t Look Back Into The Sun (Official Video)
  • ザ・リバティーンズ(The Libertines) – Can’t Stand Me Now (Official Video)
  • ザ・リバティーンズ(The Libertines) – Gunga Din

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  • Seiya
    Seiya
    ジャンルは幅広く音楽について研究するのが好きです。

    楽器、レコード、ファッションも好きでその文脈からも音楽を楽しんでいきたいです。

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