最終更新: 2024年3月17日

ロンドンのエレクトロポップアーティスト、Georgia(ジョージア)。

HaimやCarl Rae Jepsen、Clairoらの作品も手掛けるRostamとの共同プロデュースで3rdアルバム『Euphoric』をリリースする。

元々はセッションドラマーとしてキャリアをスタートしたGeorgiaのこれまでの作品は、ダンス・ビートを中心にエレクトロニックなサウンドを乗せながら、小気味良いポップ・ミュージックをメイクしてきた。

どちらかというとプロデューサーとしての手腕が発揮された作品だったといえる。

今回Rostamをプロデューサーに迎えたことでもたらされた化学反応は、シンガーとしての開放。

拠点とするロンドンではなくLAで制作されたことも作用し、オープンマインドなモードが色濃く反映され、活力溢れるヴォーカルをたっぷり堪能できる。

自己プロデュースで内面から自分と向き合ってきたGeorgiaが、こと作品制作の場において対外的な交流を経験して、客観的にアーティストとしての自分を捉えられるようになったことがもたらせたネクストステージだ。

そのことを踏まえて、Georgiaに最新作『Euphoric』についてインタビューを行った。

シンガーとしての顔も自己解放したことで改めて確認すべき彼女のパーソナリティや、幼少時代からこれまでのキャリア、そして『Euphoric』について訊いた。

Georgia(ジョージア)インタビュー

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クレジット:Will Spooner
アーティスト:Georgia(ジョージア) インタビュアー:滝田 優樹 通訳:長谷川友美(Yumi Hasegawa)

-初めまして。日本の音楽メディア、BELONGと申します。あなたについては、MURA MASAとのコラボ曲「Live Like We’re Dancing」にて知りました。家で1人で聴いていても、思わず踊りだしたくなるような音楽に、特にコロナ禍の期間中、自宅で過ごすことが多い中でも、充実した時間を過ごすことができました。そのため今回インタビューすることができて、とても嬉しく思います。また、あなたは元々ドラマーだったことから、ダンス・ビートにエレクトロニックサウンドを乗せたポップ・ミュージックが魅力的で、誰でも踊り出したくなるような音楽だと思います。なので、そういったことについてやアルバム作品以外のことも教えていただけるとありがたいです。日本のリスナーにもあなたや『Euphoric』の魅力についてたくさん届けたいと思います。それでは回答をよろしくお願いします。
Georgia:まずは、そんなことを言ってもらえるなんて本当に嬉しいわ。彼にも必ず、私からのお礼を伝えておいてね!

音楽に囲まれた幼少期

-分かりました。では、まずはあなたのことについてもっと教えてください。元々はドラマーであったり、お父さんがLeftfieldのニール・バーンズであること、そしてフットボール選手としてアーセナルなどに所属していたり、Georgiaとして音楽活動をはじめる前のこともとても興味深いです。まずは幼少期時代や本格的な音楽活動をはじめる前はどのようにすごしていましたか? 当時聴いていた音楽や父からの影響などがあればそちらも教えてください。
私はロンドンで生まれ育ったんだけど……しかも、ロンドン中心部でね。90年代には、オックスフォード・ストリート(※ロンドン随一の目抜き通り)から歩いて5分のアパートメントで暮らしていたの。ウェストエンド(※ロンドン中心部)のライフスタイルそのものを送っていたわ。ロンドンのカルチャーはとても都会的で、家には庭もなかったし、決して広いスペースではなかったから、地元の公園に行って身体を動かすのが生活の一部だったのよ。そこで他の子供たちと一緒にボールを蹴って遊ぶことで、フットボールのスキルを高めていったという感じかな。ある日、私がプレイしているのを見た両親が、私のフットボールの才能を見出して、フットボールを中心としたサマーキャンプに参加させてくれたり、スキルを伸ばす手助けをしてくれたの。父は元々スポーツが好きで、家ではいつもテレビからフットボールの試合が流れていたし、言うなれば、私の周りにはいつもフットボールがあった感じね。

-お父様はアーセナルのサポーターだったんですか?
いいえ。祖父はアーセナル・サポーターだったんだけど、父はウェスト・ハムのサポーターだったの。他の家族はトッテナムを応援してて、私はマンチェスター・ユナイテッドのファンだったから、みんながそれぞれ違うチームを応援していてなかなかカオスだったわ(笑)。とにかく、私の育ちはある意味Leftfieldに左右されていたと思うのね。最初はロンドン市内の小さなアパートメントで暮らしていたのに、突然経済的に恵まれるようになって。Leftfieldはアンダーグラウンドから本当に一夜にして大スターになったから。90年代の音楽シーンは多額の契約や、大きなお金が動く業界だったのよ。だから私の子ども時代はある意味かなり混沌としていたけれど、Leftfieldを中心に、素敵な思い出がたくさんあるわ。父が音楽を作るところをずっと目の当たりにしていたから、音楽がどうやってできていくのか、その過程にとても惹かれたし、世界中のありとあらゆる違う種類の音楽に触れることのできる環境だった。ダンス・ミュージックの素晴らしいところは、プロデューサーやDJたちがそれこそ信じられないくらい幅広い音楽の知識を持っているということなの。だから、今ジョニ・ミッチェルを聴いていたと思ったら、次の瞬間にはナイジェリア人のフェラ・クティを聴いている。初期のヒップホップからビル・エヴァンスのジャズ、インドの音楽民族も、日本の音楽も、色々な音楽を聴く機会に恵まれていたわ。おびただしい量と質の音楽と一緒に育ったのよ。一方で、私も90年代の子どもだったから、スパイス・ガールズのようなポップミュージックにも夢中だったし、『Top of the Pops』は毎週金曜日に欠かさず観ていたのを覚えているわ。当時はまだインターネットもなかったし、テレビとラジオがポップミュージックに触れることのできる唯一のメディアだったからね。90年代生まれの私には、そんなインターネットのなかった時代の記憶が残っているの。それに、ロンドンは……東京もきっと同じでしょうけど、ありとあらゆる種類の音楽やカルチャーに溢れていて、私もそんな街で育ったキッズらしく、色々なことに興味を持ったり、好奇心をそそられたりして成長したのよ。それに、私は決してシャイではない、騒がしい子どもだったし(笑)。一方で、想像力の豊かな子でもあったわね。父がツアーに出ていたり、母が働いていたりして、ひとりで過ごすことも多かったの。だから、ある意味イマジネーションが私のいちばんの親友だったのよ。この想像力の豊かさが、自分を曲作りといったクリエイティブな活動に駆り立てたんじゃないかな。私はとても恵まれた子供時代を過ごしたと思うし、なんの不満も感じていないわ。フェスティバルに行って、父親が4万人の大観衆の前で演奏するのを目撃するなんて、なかなかない経験じゃない(笑)?

セッション・ドラマーとしてのキャリア

-本当にそうですね(笑)。ところであなたは、セッション・ドラマーとしてミカチューやケイト・テンペストのライブに参加していましたね。そもそもドラムをやるきっかけだったり、彼らのサポートをするきっかけは何だったのですか?
私にとってドラムはフットボールと同じようなものなの。8歳か9歳の頃、ドラムキットの前に座って、なぜか叩くことができたのよ。上手く説明することはできないけど、ある一定の子どもにはそういう才能が予め備わっているのよね。学校にドラムキットがあって、その前に座った途端に、自然にプレイできたというか。子どもの頃から他の子に混じってドラムを叩いていたの。それで、大学生の頃……18歳か19歳の頃ね。音楽でお金を稼ぎたいと思って、セッション・ミュージシャンになる道を模索するようになったのね。ちょうどその頃、親友のクエスとラーンが音楽をやっていて、曲をリリースすることになったの。クエスは〈Young〉と契約を結んで、ラーン・トゥマリシも独自に音楽をやっていて、私たちはある種のグループを組んで一緒にプレイしていたわ。そうした活動を通して、ミカやシーンの人たちと知り合うようになったんだけど。その頃のロンドンにはそうしたシーンがあって……音楽を勉強している学生たちのシーンみたいなものね。Michachu & The Shapesはその中でも〈Rough Trade〉と契約したり、突出した存在だった。そうしたシーンを通して、The XXとも知り合ったのよ。すごく初期の、ロンドン・シーン……〈Warp〉とか〈Rough Trade〉とかに繋がるシーンが存在していて、とても影響力を持っていた。私は、いちばん初期のBoiler Roomに参加していたの。ロンドン中の若くて才能のある人たちが集まっていて、今ではその多くが各業界を牽引するような著名なアーティストになっているわ。とにかく、どうやってそのシーンに潜り込んだかはよく覚えていないんだけど(笑)、とてもクリエイティブなシーンだったの。そこでみんなに私の名前が知られるようになって、セッション・ドラマーとして認識されるようになったという感じ。取り敢えず飛び込んでみて、そこから徐々に人脈が広がるにつれ、自分もよりプロフェッショナルになっていったんじゃないかな。私自身、野心家でもあったし、しかるべき時期にしかるべき場所にいたという感じ。とてもクリエイティブなロンドンのシーンにいられたことは幸運かもしれないけど、自分としては完全にそのシーンの一部だという風には感じていなかった。つねにその外側にいるように感じていたわ。でも、それが“自分の音楽を作りたい! 自分の音楽をやりたい!”という野心に繋がったのかも。そのシーンのど真ん中にいたら、自分を見失っていたような気がする。私にはつねに“自分の音楽を作る”というゴールがあったし、なにをやっていても必ず自分の頭の中にはその目標が存在していたの。ごく若い時から曲は書いていたし、色々な異なるサウンドや道筋を探求したいといつも思っていたわ。それがいつも私の背景にあったのよ。それに、セッション・ドラマーというのは競争の激しい世界で、必ずしも稼げる仕事ではなかった。でも、18、19歳でフェスティバルでプレイすることもできたし、とても楽しい経験だったわ。自分の道程の大切な一部であったことは間違いないわね。

Micachu & The Shapes – “Golden Phone”
https://youtu.be/8TRkZpFgJcI

音楽民俗学を学んだことの影響

-大学では音楽民族学を学んでいたそうですね。そこでの経験はどのようにあなたの音楽作品に影響を及ぼしたのでしょうか? 具体的に学んだことも含めて教えてください。
学生の時は、自分が非常に有意義な学問を学んでいるという自覚はなかったな。私はつねに、西洋文化の外側にある音楽カルチャーに興味を持っていて。音楽というのは、西洋のポップミュージックに限定されたものではないとずっと思っていたの。昔から、例えばジョージアの音楽、イランの音楽、オーストラリアの音楽、ブラジルの音楽、日本の音楽……様々な国の音楽に惹かれていたわ。イギリス国内では、唯一ロンドン総合大学(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)の一部であるSOAS(東洋アフリカ研究学院)で音楽民俗学を学ぶことができたのね。だからロンドンにいながらにして自分のやりたいことを学べたのは良かったわ。このコースでは、自分が研究している地域の楽器の演奏を習得することが必須科目で、私は西アフリカの音楽を選択していて。特にマリの伝統的な太鼓のサウンドが大好きなの。この太鼓は、土着の宗教儀式とも深く関連しているんだけど。それを習得することと、それにコラ(※西アフリカの伝統楽器)についても学んだわね。もしかすると知っているかもしれないけど、トゥマニ・ジャバテが有名にした楽器よ。とてもとても古い楽器で……コラの演奏法を学べたことは、すごく名誉なことだった。というのも、この楽器は先祖代々特定の部族に受け継がれるもので、白人が演奏することは通常は許されないことだから。この楽器を演奏するためには、マンデ文化の一員でなければならないのよ。当時の私は19歳だったから、本当に素晴らしいことだと思ったわ。大学の3年間はとても実りがあって、たくさんのことを学ぶことができた。20歳そこそこの大学生らしく毎晩のようにパーティに明け暮れていたのも確かだけど(笑)。音楽民俗学というのは、基本は民俗学に基づく学問だから、講義もたくさんあったし、論文もたくさん書かなければいけなかったし、つねに音楽というものが社会や文化の中にどのような影響を及ぼし、どのような影響を受けてきたかという問い掛けでもあるのよ。例えば、コラの奏者がマリ、特にマンデ文化の中でなぜそれほど高い地位にあって崇められているのか。非常にアカデミックな学問なの。その中で、私が最も強く学んだと思えるのは、世界各国に存在する音楽の成り立ちにおいて、その背景にあるもの、音楽への愛というもの、なぜ人類は今も音楽を進化させ続けているのか、ということかもしれない。この学問を学んだこと、世界中の様々なサウンドに影響を受けることが、私のイマジネーションを掻き立ててくれたの。それに、音楽と地域と社会との関係性を分析する手助けもしてくれた。とても興味深い学問だと思うわ。

Toumani Diabaté & Sidiki Diabaté – Jarabi

-ある意味で、人類がなぜ音楽を創造したかという原点に回帰するような学問なんですね。
その通りよ。私のコースには、興味深い人がたくさん学んでいたのよ。博士号を取る勉強をしていた人もいるし。よく覚えているのが、2009年だったかな。J-POPの研究で博士号の取得を目指している女性がいたの。その人は、日本の商業的なポップミュージックにおいて、ファンの文化がどれほど大きな役割を果たしているかについての論文を書いていて。皆それぞれ、本当に興味深い研究をしていたわ。大学で、親友とも呼べる友人たちとの出会いもあったし……人類学を勉強していた人や、言語学を勉強していた学生なんだけど。自分が大学に行くとは思っていなかったけど、今思えばやっぱり自分の旅には必要な道程だったんじゃないかな。

影響を受けたアルバム

-では、80年代初期のポップ・ミュージックを中心に聴いてたことは知っているのですが、あなたの音楽に影響を与えたアルバム3枚について教えてください。また1枚ずつ、どのような部分に影響を受けたかやエピソードについても教えて頂けますか。
3枚のアルバム……そうね。

まずはプリンスの『Sign “O” the Times』かな。素晴らしいアルバムだと思うわ。プリンスは、私に多大な影響を与えたアーティスト。唯一無二のミュージシャンだし、すべてにおいて自分でコントロールしていたところや、とても勇敢で自身のアイデアを押し通すことに躊躇がなかった。妥協を許さない人だったと思うし、とにかく彼のサウンドは誰にも真似できないし、他では聴いたことがない。本当に唯一無二の存在よ。

Prince – Sign O’ The Times (Official Music Video)

2枚目は、ケイト・ブッシュの『Hounds of Love』ね。80年代にリリースされたアルバムかどうかは定かじゃないけど。これも本当にアメージングなアルバムだと思う。彼女もまた、すべのことをコントロール下において、自分ひとりでスタジオでこのレコードを作り上げたのよ。彼女は、自分自身で自分の楽曲を形にしたい、自分で自分の音楽をコントロールしたいと考えていた女性アーティストの先駆者的存在だったと思う。

Kate Bush – Hounds of Love – Official Music Video

最後はDepeche Modeの『Black Celebration』かな。80年代初期から中期にかけてのDepeche Modeのサウンドが大好きなの。特にサウンド・プロダクションに惹かれるわ。テクスチャーのレイヤーが何層にも折り重なっていてとても豊潤なサウンドなのに、それでいて規則正しいところが素晴らしいと思う。突然出て来るリズムにも一定の規律があって。すごく好奇心をそそられる音作りをしているわ。

Depeche Mode – Stripped (Official Video)

Euphoric

Georgia Euphoric lo res
-興味深いチョイスですね。では、ここからは最新作『Euphoric』について、教えてください。なぜ“Euphoric”というタイトルにしたのでしょうか?
いちばん最初にロスタムと一緒に書いた曲が「Euphoric」なのよ。この曲を書いたのは2019年のことだけど、その当時の気分にも「Euphoric」というタイトルがぴったりだったし、この曲をロスタムと一緒に作った直後は、本当に多幸感に溢れた気分だったから。力が漲って、開放感があって、とても興奮した状態だったのよ。このレコードを聴いた人に同じような気分になってもらいたくて、“Euphoric”をアルバムのタイトルにしたの。

Georgia – It’s Euphoric (Official Video)

ロスタムとの共同プロデュース

-今作、カーリー・レイ・ジェプセンやチャーリーXCXを手がけたロスタムがプロデュースを担当したそうですね。あなたの音楽との親和性の高いプロデューサー起用だとは思うのですが、外部プロデューサーを迎えたのははじめてということで、こちらの経緯を教えてください。
すごく自然な流れだったの。特にレコードレーベルから“このプロデューサーが今イケてるから、彼とやりたまえ”みたいなことを言われたわけではないのよ(笑)。本当にごく自然に一緒にやることになって。ロスタムが「Live Like We’re Dancing」のデモを聴いて、インスタでメッセージを送ってきてくれたのが最初ね。“突然すみません。この曲のデモを聴いて、あなたの声がすごく好きだったので何か一緒にできないかと思って”って。とってもエキサイティングだったわ。連絡をもらってすごくありがたかった。そこから時々連絡を取り合うようになって。2019年の終わりに、初めてLAでライブをすることになって、ショーの前に2日ほど時間があったのよ。それで、ロスタムに連絡してみようと思って、“LAにいるんだけど、あなたのスタジオで何か一緒にできないかな?”ってメッセージを送ったの。そうしたら、“ぜひ!スタジオに遊びに来て”と言ってくれて。それで、実際に会った最初の日に「Euphoric」を一緒に書き上げたのよ。2日間一緒にやってみて、こんな風にコラボレーションしながら音楽を作ってみたい、と強く思ったわ。彼は、私がそれまで自分でプロデュースしてきたことをとても気にかけてくれて、柔軟に対応してくれたの。決して“こうすべきじゃない”とは言わなかった。私がやってきたことに興味を持ってくれて、色々なことを試してくれたの。それがすごく心地好くて、一緒にアルバムを作りたいと思ったのね。それで数ヶ月後にオファーをしたら、快諾してくれたのよ。すべてのことが自然に、かつ協力的に進んだという感じ。彼は決して私のアルバムをプロデュースしようとはしなかった。共同プロデュースという形でやりたいと言ってくれたのよ。本当に素晴らしい経験だったわ。私は彼から多くのことを学んだし、彼も色々なことを学んだんじゃないかな。相互間での音楽的なエクスチェンジという感じだった。とてもパワフルで、多大な影響とインスピレーションを与え合った、刺激的な経験だったわ。

Mura Masa, Georgia – Live Like We’re Dancing

-ロスタムとはどのような話し合いやディスカッションがあったのでしょうか。
彼とは色々なアイデアを交換し合ったわ。最初は何曲か自分でデモを作って、LAに持って行ったの。それからパンデミックになって……リモートで話し合うようになったんだけど、2人に共通していたアイデアは、世の中がこういう風になってしまったからこそ、カラフルで、ポジティブで、ダンサブルで、前向きな音楽を作ろうということだった。そこから曲の細かい部分のアイデアが溢れてきて、たくさん話し合いをしたわ。とにかく聴き手に刺激を与えるようなものを作ろうってね。音楽のトレンドに従うことなく、誰も聴いたことのないようなサウンドを創り上げることが私たちの目的だったのよ。

-レコーディングや制作面ではどのようなスケジュールや進行でアルバムは完成されたのか教えてください。
2021の終わりに2ヶ月ほどLAに行ってロスタムと一緒にレコーディングして……冬の頃ね。それで、2022年の3月頃に完成したの。それからデイヴ・フリードマンと一緒にミックス作業に入るために、そのアルバムを持ってよく晴れたLAから、彼の住むアップステート・ニューヨークのまだ雪の残るバッファローへと向かったのよ(笑)。また全然違う環境でこのアルバムを聴くのはとても興味深い体験だったわね。その影響をもしかしたら感じる部分があるかもしれない。それで、デイヴのスタジオで2週間半ほどミックスをしたから、アルバムが完パケするまでに半年くらい費やしたことになるかしら。

-今作もダンス・ビートを基調に制作されています。ただ、これまでの作品よりもよりオープンマインドなサウンドスケープになっていると感じました。過去2枚のアルバムをベッドルームで制作していたのに対して、ロスタムとの共同作業することで対外的になったことも影響しているのかと思うのですが、いかがでしょうか? 何かメロディラインやサウンド面のプロダクションで意識したことがあれば教えてください。
私がよりオープンマインドで対外的になっていたのは間違いないわ。それには環境も大きく影響していたと思う。LAの環境は、ロンドンとはまったく違ったものだったから。LAの開けた空間やゴールドに輝く光の色彩にとてもインスパイアされたサウンドになっていると思うの。リスナーにはぜひ、そのオープンマインドなサウンドスケープを経験して欲しいわ。単純にクラブっぽい内向きのサウンドではなく、もっと開放感のあるサウンド。私たちは聴き手が感情移入して、空気感やサウンドスケープや実験的な部分を共に経験してもらえるような音作りをしたつもりよ。だから、すべての音作りにおいて敢えてそういうことを意識していたと言えるわね。

Georgia – All Night

ヴォーカルへのこだわり

-また、事前にいただいた資料ではプロデュースをお願いして、コラボレートしながら制作したことでボーカル・パフォーマンスに集中できたと語っていましたね。特にミディアム・テンポやバラードの曲で、サウンドと溶け込むような繊細なヴォーカルが印象的だったのですが、ボーカル・パフォーマンスで意識されたことやポイントに置いたことがあれば教えてください。個人的にはカーリー・レイ・ジェプセンのボーカルを連想しました。
ワオ!ロスタムとの作業の中で最も素晴らしかったことのひとつが、ヴォーカルに集中してより高みを目指せたことなの。彼は私の歌に対して、背中を押してくれた。ヴォーカルがより前面や、中心に来るようなプロダクションになっていて、私の前作2枚とはかなり違う音作りになっていると思う。ロスタムと仕事をすることで、自分のヴォーカルに集中できたことは私にとってもすごくエキサイティングなことだったわ。自分の歌声をよりダイナミックに使うことで、自分自身をより強く表現できたと思う。それに、とても実験的な試みでもあったのよ。“ヴォーカルを使ってこの質感を創造してみよう”“歌詞がきちんと伝わるようにしてみよう”という風にね。ロスタムのヴォーカルをレコーディングするやり方や、ヴォーカルにすごく集中したプロダクションというものを本当に尊敬しているわ。そういった面でも彼からは多くのことを学んだし、とても興味深かった。とにかく、ヴォーカルがこのアルバムのメインパートであると言っても過言ではないわね。

アルバム『Euphoric』のテーマ

-このアルバムは、“自分の問題や、自分の過去や、自分の欠点や、癒やされる過程への”降伏だと言っていましたね。具体的にどういった問題や過去が反映されていて、なぜ降伏と表現しているのでしょうか? こちらについて詳しく教えてください。
私はつねに中毒症状と闘ってきたの。アルコールにしてもそうだし、ある特定の振る舞いとか、中毒に陥りやすい体質というのは、私の人間性の一部だと思うのね。パンデミックの期間中にそういった問題をより意識するようになって、これは何とかしなければと考えたのよ。このアルバムは、そうした過程の一部なの。お酒をやめたり、また元に戻って飲んでしまったりの繰り返しで、中毒からなかなか抜け出せなかった。ある種の自傷行為のようなものだったのね。このアルバムは、ようやく本来の自分を取り戻す過程で生まれたものなの。それに、もっと広い意味では、この3年、私たちはみんな大変な時期を過ごさなければならなかったでしょ。誰もが問題を抱えている。そんな投稿をSNSでたくさん目にしたわ。友人のひとりは子どもたちのことで悩んでいたし……。音楽というのは、セラピーの一種だと思う。よりポジティブに、良い方向へと向かえるよう癒やしを与えてくれる存在なんじゃないかな。中毒や依存症にも効果を発揮するものだから、その中で自分自身を再発見していくことができたの。

Give It Up For Love (Official Video)

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Georgiaアルバムリリース

3rdアルバム『Euphoric』

Georgia Euphoric lo res
発売日: 2023年7月28日(金)
フォーマット:Mp3、CD、アナログ
収録曲:
01. It’s Euphoric
02. Give it up for Love
03. Some Things You’ll Never Know
04. Mountain Song
05. All Night
06. Live Like We’re Dancing Part II
07. The Dream
08. Keep On
09. Friends Will Never Let You Go
10. So What
11. Too Much Too Little (Bonus Track)
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2ndアルバム『Seeking Thrills』

Georgia_Seeking_thrills_
発売日: 2020年1月10日(金)
フォーマット:Mp3、CD、アナログ
特典:ボーナストラック追加収録/歌詞対訳/解説書封入
収録曲:
01. Started Out
02. About Work the Dancefloor
03. Never Let You Go
04. 24 Hours
05. Mellow (feat. Shygirl)
06. Till I Own It
07. I Can’t Wait
08. Feel It
09. Ultimate Sailor
10. Ray Guns
11. The Thrill (feat. Maurice)
12. Honey Dripping Sky
Bonus track for Japan
13. About Work the Dancefloor (The Black Madonna remix)
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Georgiaプロフィール

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クレジット:Will Spooner
Georgia(ジョージア)はLeftfieldのニール・バーンズの娘で、幼い頃からドラムを始め、ロンドンの東洋アフリカ研究学院で音楽民俗学を学んだ。

セッション・ドラマーとして音楽キャリアをスタートし、Kwes.やMicachu、JUCEなどの個性的なブリティッシュ・ポップ・アーティストと共演。

コラボレーターたちからのサポートに刺激を受け、自分自身の曲作りを始め、JUCEのチェリッシュ・カヤが2014年にKaya Kaya Recordsから彼女のデビューEP『Come In』をリリースした。

このEPはジョージアの特徴的で(間違いなくブリティッシュな)アンダーグラウンド・ポップを紹介し、M.I.A.やMicachuがデビューした時に音楽シーンに与えた衝撃を思い起こさせた。

2015年にはLeftfieldの待望の3作目『Alternative Light Source』に参加し、「Universal Everything」でボーカルを担当。

同年、ジョージアはドミノと契約し、8月にセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリースした。

2017年に「Feel It」でシングル・リリースを再開し、2018年には「Mellow」(Shygirlと共演)と「Started Out」を発表した。彼女はSuicideyearやHONNEの2018年のアルバムや、Africa Expressの2019年のフルレングス『Egoli』にも参加。

「About to Work the Dancefloor」というエクスタティックなダンスポップ・シングルは批評家から絶賛され、ジョージアのセカンド・アルバムへの期待が高まった。

初期のハウスやテクノにインスパイアされた、多幸感や失恋を表現する感情豊かなアップビートなダンスチューンで構成された『Seeking Thrills』は2020年初頭に発売された。

Georgia代表曲(Youtube)

  • Georgia – 24 Hours
  • Georgia – Never Let You Go (Official Video)
  • Georgia – About Work The Dancefloor (Glastonbury 2019)
  • Georgia – Started Out (Official Video)

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ライター:滝田優樹

1991年生まれ、北海道苫小牧市出身のフリーライター。TEAM NACSと同じ大学を卒業した後、音楽の専門学校へ入学しライターコースを専攻。

そこで3冊もの音楽フリーペーパーを制作し、アーティストへのインタビューから編集までを行う。

その経歴を活かしてフリーペーパーとWeb媒体を持つクロス音楽メディア会社に就職、そこではレビュー記事執筆と編集、営業を経験。

退職後は某大型レコードショップ店員へと転職して、自社媒体でのディスクレビュー記事も執筆する。

それをきっかけにフリーランスの音楽ライターとしての活動を開始。現在は、地元苫小牧での野外音楽フェス開催を夢みるサラリーマン兼音楽ライター。

猫と映画鑑賞、読書を好む。小松菜奈とカレー&ビリヤニ探訪はライフスタイル。

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Twitter:@takita_funky

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