最終更新: 2025年5月1日

アメリカはミシガン州アナーバー出身で、日本人の母を持つシンガーソングライター/ギタリストのMei Semones(メイ・シネモス、芽衣シモネス)。

バークリー音楽大学でジャズを中心にギター演奏について学び、ブルックリンにある日本の幼稚園の先生としての経歴も持つMei Semonesは、

2024年にはRolling StoneやPasteといったメディアでも注目のアーティストとして紹介され、今年2025年のフジロックへの出演も控える若手である。

彼女の音楽で特筆すべきは、自身のルーツである日本語と英語を織り交ぜた歌詞と、洗練されたピュアさと前衛的なアプローチや技巧的なアレンジが共存する、いわば自然の摂理を超えたサウンドだ。

今回リリースされるデビュー・アルバム『Animaru』はそんな確固たるアイデンティティを惜しげもなく詰め込みつつ、

ジャズ、ボサノバ、チェンバーロックといった自身の音楽的基盤をインディーロックに繋げた挑戦的な作品になっている。

これから国内外問わずますますの活躍が期待されるMei Semonesにとって今後も名刺代わりになる作品には申し分ない出来栄えだ。

そんなMei Semonesの魅力を届けるべく、ルーツに迫り、特に関わりの深い日本との関係を掘り下げながら、幅広く話を訊いた。

Mei Semonesインタビュー

Mei Semones(メイ・シネモス)
-滝田優樹:私たちはアーティストのルーツや音楽が生まれた背景、そして影響を受けた音楽・文化・芸術を大切にしているメディアです。今回私たちとははじめてのインタビューなので、まずはあなた自身のことからお聞きすることで読者にもあなたの魅力を知ってもらいたいです。ミシガン州アナーバー出身で、日本人の母を持っていますね。まずはミシガン州アナーバーではどのような幼少期を過ごしていて、どのような暮らしをしていたのか教えてください。また、「Dangomushi」の歌詞には、“君の大事なメモリー”、“君の好きなものを教えて(Tell me your favorite things)”というフレーズがありますね。これにちなんで、アナーバーという土地についてやそこで触れたものやことを知りたいです。
メイ・シモネス:アナーバーは育つのにすごくいい場所だった!ミシガン州にある可愛らしい小さな街で、大学の街なの。子供時代はかなり穏やかに過ごせたと思う。お話ししたように、私は日本人の母とアメリカ人の父のもとで育って、双子の姉妹が一人いるよ。子供の頃は、家の近くの小川で外で遊んだり、トランポリンで跳ねたり、サッカーの練習をしたりして過ごしたわ。それと同時に、母と日本語を勉強したり、4歳からピアノのレッスンを受けて、11歳くらいでギターをやり始めたかな。

日本との関係とバイリンガルな背景

-滝田優樹:日本人の母がいるということで、あなたと日本の関係についても教えてください。私はあなたの音楽のファンで、日本語と英語を織り交ぜた歌詞で人気を得て活躍されていることを嬉しく思っています。なので日本に対する印象や心理的な距離、アメリカと日本の両方をルーツに持つことはあなたの人生や人格形成に影響したのかなど気になります。
メイ・シモネス:子供の頃はだいたい年に一度、横須賀のおばあちゃんに会いに日本に行っていたよ。アメリカの学校のほうが学期が終わるのが早いから、夏休みが始まったら横須賀に行って、日本の夏休みが始まるまでの数週間、地元の小学校に通ったりしていた。日本語と日本の文化は、いつも私の人生の大きな部分を占めてきたわ。母とは日本語だけで話すし、おばあちゃんともそうだった。アメリカで生まれ育ったけれど、家族のおかげで日本人とのミックスであることは私のアイデンティティの大きな部分を占めていて、それにいつもすごく感謝しているし、深く繋がっていると感じることなのよね。

幼稚園教諭としての経験

-滝田優樹:また、日本語の幼稚園の先生として働きながら、アーティスト活動をされていたそうですね。日本語の幼稚園の先生として働こうと思ったきっかけやそこではどのように園児たちと関わっていたのかも教えてもらえますか?
メイ・シモネス:ニューヨークに引っ越してきてすぐの頃、ブルックリンにある日本の幼稚園でアシスタントティーチャーとして働いていたよ。1年間はフルタイムで、もう1年はパートタイムで働いたわ。正直に言うと、その仕事を選んだのは、ニューヨークに引っ越してきて初めて経済的に自立することになったから。つまり、家賃を払って生活していくために仕事が必要だったのよね。実は、その幼稚園で働き始めるまで、自分がそんなに子供好きだって知らなかったんだけど、最終的にはすごく好きになった!それに、毎日日本語を使う機会があったのも良かったよ。

ジャズから“インディーJ-POP”へ


-滝田優樹:音楽的なキャリアとしては4歳でピアノを始め、11歳でエレクトリック・ギターに転向。高校でジャズ・ギターを弾いた後、バークリー音楽大学でジャズを中心にギター演奏を学んだそうですね。ピアノやギターを演奏しようと思ったきっかけやバークリー音楽大学でのご経験について教えてもらえますか。またそれらの経験が今のあなたの音楽にどのような影響を与えているのかも知りたいです。
メイ・シモネス:4歳の時に、おばあちゃんが私と姉のためにピアノを買ってくれてね。それでピアノレッスンを始めた。ピアノを始めたのはすごく小さい時だったから、何かに影響を受けたというよりは、両親がセッティングしてくれたからやっていた感じ。少し大きくなったらピアノがあまり楽しくなくなってきて、ギターに変えたいと思った。最初にギターを弾きたいと思ったきっかけは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で主人公がチャック・ベリーの曲を弾くシーン。あの頃、それがすごくかっこいいと思って、自分もできるようになりたいと思ったのよね。

バークリーは、すごく楽しかった!たくさん練習する機会や専門的なクラスを受ける機会があって、バークリーにいる間にギターがかなり上達したと思う。それに、バンドメンバー全員とバークリーで出会ったよ。彼らは私の音楽のサウンドにとって、ものすごく大きな存在になっているわ。バークリーでの時間や高校でジャズを学んだ時間は、私の音楽に大きな影響を与えていると思う。そういった環境の中で、私が今でも大好きで影響を受けている音楽の多くに出会ったから。

自身の音楽性について

-滝田優樹:ご自身から見て、MEI SEMONES(メイ・シモネス)はどのような音楽をやっていて、どのようなアーティストなのか説明することはできますか? 私があなたの音楽を聞いた印象では歌声もサウンドも自然に耳に入ってきて、非常に耳心地よく、小気味良く洗練された純度の高い音楽なのですが、その細部を探ると前衛的なアプローチやテクニカルなアレンジもあってそこには自然の摂理を超越した確固たる自我も感じられると同時に、ほんの少しの奇妙さもある面白い音楽だという印象です。
メイ・シモネス:その印象、すごく好き!人に私の音楽を説明してって言われたときは、短く“ジャズの影響を受けたインディーJ-POP”って言ってる。ジャズ、ボサノバ、サンバ、インディーロック、マスロック、グランジ、ポップとか、そういう要素はあると思うんだけど、結局は、自分の中から自然に出てくる音楽を作って、自分が好きな曲を書いているだけなのよね。自分が大好きで、私とバンドが演奏して楽しい音楽を作りたい、ただそれだけだよ。

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