最終更新: 2021年6月20日

某所では“東京インディー最後の至宝”などと形容されて、そのような東京インディーという概念というか現象というか、それが終わっていきつつあるという認識をその某所が下している辺りは正直寂しい気もするものの、それでもTaiko Super Kicks待望の1stフルアルバム『Many Shapes』が、とても鮮烈な作品であることに何の変わも揺らぎも無い。

ポストミツメなる声があることは、繊細でけだるげなボーカルの声質や、オルタナ感覚をしっかり備えながらも変幻自在なフレージングでたおやかでサイケな音のテクスチャーを織り上げるギタリストの存在など、二つの大きな共通項の点で頷ける。ギターロックという概念をサイケデリアで希釈した末の不思議な穏やかさ・気の抜けた「ような」感覚を、ミツメ以降で最も豊かに表現した作品のひとつだろうか。

白昼夢のような浮遊感。今作におけるそれについては、まさにそのミツメのメンバーであるnakayaan氏が、今作に寄せたコメントの中で「浮遊感は細部に宿るということを実感できる」と書いているのが端的だろう。自主制作盤『霊感』でも表現されていた曖昧な意匠が、今作ではよりずっと細やかに追求されている。そう、彼等の演奏やソングライティングが「気の抜けた」産物では決してないことは、一曲目「メニイシェイプス」のギターのブリッジミュートの質感がつくる奥行きだけを取ってみてもほぼ間違いの無いことだ。

緻密に形作られた穏やかな光景を、リードギターの強烈なギターフレーズが塗りつぶしていくときの覚醒感、強引に光景が、その裏の静寂も含めて広がっていくようなあの感覚は、またボーカル・ギターの伊藤暁里氏による歌詞にも現れている。さりげない平易な言葉のようでいて、そこから沸き立つ世界観は、“ぼくらの日常”とかいう陳腐なものが、時々不思議とその通常の状態から乖離する瞬間・感覚に溢れている。そこで強調されるのは、輪郭の曖昧なノスタルジーであったり、寂しさであったり。それは、時々どきりとする。

軽やかでキャッチーなフレーズの数々と、ベターっとした轟音と、息をのむような静寂とを併せ持つ、今作でも最もキャッチーな曲のひとつである「シート」の2度目の静寂で囁かれる言葉「何かわかったことなんて一度もないでしょう」というフレーズに持っていかれたぼくは、このフレーズを反芻しながら、思う。今作のように豊かな曖昧さに満ちた音楽にとっての“完成”とは何なのか。その気になればどこまでも引き延ばしていけそうな形なきイメージの奔流を、彼等はそれでも一曲4、5分のサイズで形に収めた。その滑らかなようで時にドラマチックな、様々な形状の連なりに、何らかの新鮮な心地よさや、美しさや、意思が感じられる(気がする)。年末の喧噪そっちのけで、このささやかなようで真摯なファンタジーに浸り込んでいる。

【Writer】おかざきよしとも (@YstmOkzk)

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