最終更新: 2015年1月12日
人は新しいモノと出会った時、その新鮮さに喜びを感じる半面、それに触れることに戸惑いを感じることもある。例えば洋服なんかがそうだろう。店員から普段着ないような物を薦められると、誰しも最初は躊躇するものだし、試しに買ってみたところで持ち合わせのどの服と合わせればいいのか分からず、結局は箪笥の肥やしに・・・。そう、新しいモノの新鮮さを自分の中に取り込むのは難しいのである。私が彼女の作品と出会った時もそうだった。出かけ先のCDショップでイチオシされていたので試しに試聴してみたのだが、その時の私には何となくでしかその良さが分からず、それが確信には至らなかったので、結果購入を躊躇ってしまった。
FKA twigs(以下FKA)。ポストビョークとして突如現れた彼女は、その特徴的なウィスパーボイスと華奢でキュートなルックスが話題となり、一気に英米音楽メディアを駆け巡った。実際に彼女の歌声は高音域も低音域もしっかり出ていてそれは美しいし、同い年の女性としてもそのファッションセンスには目を見張るものがある。何よりその顔の小ささには、ジャケットを見る度にため息が出てしまう。・・・と、ここまで言ってしまうと、「何だかんだ言ってルックスで評価されているのではないか?」と思う人も出てしまうだろう。しかし、彼女のその魅力を表面上で察してはいけない。彼女の音楽を聴くことで、ようやくその本質に触れることができるのである。
FKAの音楽を一言で形容するなら、「新しい」「新鮮」といった類の言葉が最もふさわしいだろう。まずは、ポストビョークと評されているその歌声。美しい声のヴォーカリストには、『奇跡の声』などといった売り文句が付けられることは多々あることだ。彼女の歌声もある意味でそうなのかもしれない。だが、何かが違うのである。それは、『奇跡の声』という表現に内包されている天使的な優しさとは違い、むしろどこか冷たくひんやりとしている。彼女の歌声には、触れるには難しい温度のようなものが宿っている。さらに特筆すべき魅力が、その音楽性にある。彼女の歌声と重なるメロディー、その根底にはR&Bのリズムがしっかりとあって、それを感じさせないようなリズムもまた刻まれている。そのリズムはFKAの出生にも関係している。彼女はジャマイカ人とスペイン人の両親を持つハーフであり、それ故彼女の音楽を支えているリズムはジャマイカンビートの源流も汲んでいるのだ。そしてそのジャマイカンビートの流れを辿って行くと、アフリカの先住民族のダンスビートに流れ着き、彼女の音楽の中にあるR&Bのリズムの裏側でジャマイカとアフリカのビートが鳴っていることに気付かされる。こうした純度の高いブラックミュージックの要素をあくまで根底において活かすべく、そしてそこに寄り添うべく、シンセやその他の楽器によるアレンジは非常にシンプルだ。このように書いてしまうと、彼女の音楽に対してかなりオーガニックなイメージを抱かれかねないが、雰囲気として例えるならTLCが近しいようにも思われる。彼女達がやっていた、シンプルでやや渋めだが聴き手に「カッコイイ!」と思わせるあのダンスミュージック。FKAの音楽を聴いていると、TLCのそれと重なるような印象も受ける。だが、そうした中でも元来のブラックミュージックらしさを感じさせず、なおかつその音楽を「現代的」と言うにはほど遠いものと感じさせるのは、作品の世界観を彼女なりにしっかりと解釈した上で発せられるその歌声にあるのだろう。
ここまで書けばもうお気付きになるだろうが、最終的に私は彼女のデビューアルバム『LP1』を購入した。なぜなら、試聴だけでこの作品の持つ世界観を理解できないことに気が付いたからだ。先日インタビューしたあるアーティストの方がこのような内容をお話ししてくれた。それは、「リスナーがまだ出会ったことのない音楽を提案していくために、常に”今”の感覚よりも一歩先に行っていなければならない。」ということだ。FKAの音楽を聴いていると、恐らく彼女もまたそのようなことを思ってるのではないかという印象も受けるし、むしろ一歩どころか二歩三歩先に行っていないといけないと思っているのかもしれない。なぜなら彼女の音楽は、大体の人が一度聴いただけでは恐らくその正体を何も掴むことができないからで、それは彼女の感性が未来に向かっているからだという表れでもあるのだろう。FKA Twigs、彼女はこの先どんな音楽で私達を未来に導いてくれるのだろうか?
【Writer】桃井かおる子