最終更新: 2015年1月27日
穴が空いた、こぼれ出ている、塞ぐ手だてが見つからない。こんなシチュエーションがあったとする。穴が空いた瞬間に立会えば「これは悲劇だ!悲しい!」と言うことも出来るかもしれない。しかしその穴がいつの間にか空いたものだったら。こぼれ出た跡を見つけて「ああ、いつの間にかこぼれてしまった……」と儚んでみることもあるかもしれない。しかしこぼれ出つづけることさえすっかり日常の生活の一部になって、わざわざ取りあげて嘆く気にもならなくなってくると、どうだろう。魚座のアルバム『Ⅰ』は、そういうタイプの音楽のひとつと言えそうだ。
北九州を拠点に活動し、もう十数年のキャリアを持つ彼らが、昨年そのキャリアを総括するベストアルバムにより全国流通盤デビューし、そして立て続けに“14年目のファースト・アルバム”と銘打たれた本作を昨年末にリリースした。ギターボーカル、キーボード、ベースにドラムという編成の彼らの今作での楽曲は、絶妙にいなたく、素朴に洗練されたポップミュージックだ。滑らかなカーブを描く演奏や歌のメロディは、やり方によってはベル&セバスチャンにもサニーデイ・サービスにもくるりにもなりそうな、時に軽やかで時にしっとりしたポップさが備わっている。
しかし彼らの音楽は、さりげなくも圧倒的にくすんでいる。抑制の利きと天然さがないまぜなボーカルの血圧の低さ、“鮮やかさ”だけ器用にかつ自然に喪失したような楽器の音色(特にオルガン)などが醸し出す雰囲気は、青春の輝いている感じも、青春が終わったあとの深い哀しみじみたものもない。かといって“良質なシティポップ”と語れるようなアダルティックな煌めきもあまり見当たらない。ぶっ飛んだサイケデリアでもない。しかしこれを“自然体のポップス”と呼ぶのもまた、いたたまれない。
憂鬱や虚しさと食卓を囲む。ふと眠くなって横になる。ぼんやりしていると、寝てるのか起きてるのか曖昧なままに、こぼれ出ていった色々を割と無秩序に思い出す。思い出から派生する物語はやたら奥深く進行していくのに、はっと目が覚めたらほんの少ししか覚えてない。そんなフィーリングが、楽曲の隅々に染みだしているように感じる。ノスタルジアとはもともと病名である。本作は、そんな具合の病気とずっと付き合っていくような日常の音楽である。憂鬱や虚しさは、恍惚や優しさと裏表なんじゃないか、ってことを、この音楽から夢想する。これはロマンです。