The xxのJamie xxがソロ名義でリリースしたアルバムが、クラブで踊り明かした翌日に見る朝もやの光だとしたら、フランツ・フェルディナンドがスパークスと組んだFFSは、都会の喧騒に紛れることさえできずに郊外の自室で過ごす人々を包む夜のヴェールのようだ。身体は動かずとも心が夢の中で激しくダンスする。

70年代から活動するスパークスは演劇的なグラム・ロックでブレイク。後にジョルジオ・モロダーと組んでエレ・ポップを、近年はチェンバー・ポップと様々な音楽要素を取り込み続けている、いわばポスト・パンクの先駆的存在だ。クイーンのフレディー・マーキュリーの歌唱法に影響を与え、ザ・スミスのモリッシーの精神的支柱となり(2012年の来日公演では開演前にスパークスのビデオを流していた)、ニュー・オーダーのロックとディスコを融合させたサウンドのヒントにもなった。

一方、フランツ・フェルディナンドは2000年代前半のポスト・パンク・リヴァイバルの象徴的存在だ。彼らの変拍子で風変わりな展開のダンス・ロックはスパークスの発展型とさえ言えるかもしれない。本作では尊敬し合う2組の相乗効果か、合間にバラードやエレ・ポップ調の曲を挟みながら、勢いとキレのあるダンス・チューン中心で全16曲を駆け抜ける。コラボレーションの本気度が伝わってくるヴォリュームだ。

しかし穿った見方をすれば、いかにもこの2組が組んだらできそうな王道パターンの繰り返しで驚きがないともいえる。私も最初そう感じたが何度か聴くうちに印象が変わった。偏執的な繰り返しが脳内アドレナリンの心地よい分泌を促し、身体全体の新陳代謝さえ推し進めるようで、むしろこの繰り返しにこそ意味があるのではないかと思えてきたのだ。

「僕を救って!」とか「僕を見て!」だの同じようなフレーズで報われない恋についての歌を彼らは執拗に繰り返す。ビルで火事が起こりパニックになって、引けば開くドアをあせって押し続けるように、強迫的な繰り返しは困難に際して陥りがちな罠だ。FFSはその繰り返しを表現するような曲を様々なパターンで演奏する。物真似の何がおかしいかといえば対象との間にあるズレが笑えるのだが、それと同じように各曲間の微妙なズレはユーモアを生む。例えば人付き合いが苦手で自宅に引きこもり続けるような悲劇をコメディーに変えてしまう。なんだ、そんなに悩むことじゃなかったんだ!

「そう、僕はセクシーなんだ」と歌詞でうそぶいたり、ゲイ疑惑を生み出すような歌詞を挿入したりといった際どいフランツのセンスと、「ゲイの人々はもともと社会で浮いた存在と見なされてた。スパークスの音楽自体すこし他の音楽と違って特異な部分があるから、そういうところで浮いた者同士といった共感を呼んだのかもしれない」と自らのファン層について語るスパークスが交わって生じたケミストリー。でもそんな理屈はいい。ただ一緒に踊ろう!と彼らは誘いかけているのだから。

【Writer】Toyokazu Mori (@toyokazu_mori)
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1件のコメント

  1. 筆者注
    以下の部分はCOOKIE SCENE vol.72(2009年8月号) 92ページよりの引用となります。

    「ゲイの人々はもともと社会で浮いた存在と見なされてた。スパークスの音楽自体すこし他の音楽と違って特異な部分があるから、そういうところで浮いた者同士といった共感を呼んだのかもしれない」

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