最終更新: 2021年8月9日


現役高校生だった当時、著名なMCバトルの大会を制覇しながらも引退し、自主レーベルを立ち上げて活動を行っている新世代のヒップホップ・アーティストLick-Gが、初の全編英語詞の新曲「Takoyaki」をリリースした。さらにこの曲は彼の父親であり、宅録アーティスト・琵琶ウード演奏家でもあるHoodoo Fushimiと初の共同プロデュース作。様々な肩書を持つ彼の父親は一体何者なのか?初にして独占親子対談でその真相を明らかにする。

アーティスト:Lick-G(伏見絃)、Hoodoo Fushimi(伏見稔) インタビュアー:yabori 撮影:樋口 隆宏

-話は変わりますが、以前のインタビューでおっしゃっていましたが、MCバトルをやっていて、自分のスキルとは関係ない所で評価されているというのが印象的でした。だからバトルを引退したのでしょうか。
Lick-G:そうですね。音楽とは関係ない部分がフォーカスされてしまっているんです。内容が大事とされているシーンなのですが、100歩ゆずってその内容を重視して見たとしても、その肝心の内容が全然良くない、みたいな。そういうのをジワジワと感じるようになってから嫌になっていたんですけど、最後に出場した大会で負けた時に、もうここは自分のいる場所ではないんだなと感じて、そこで引退を決めました。これはいつも自分が思っていることなんですけど、次のステージに行く時って、今自分がいる場所に居心地の悪さを感じるからであって、居心地が良かったらずっとそこに居続けてしまうわけじゃないですか。なので、その時はネガティヴに考えていたんですけど、後で考えてみたら自分が次のステップに行く為の土台だったんだなと思いましたね。

-稔さんの時代はヒップホップ黎明期だったと思うので、日本でもMCバトルという文化はまだなかったと思うのですが、どのようなものなもおのだと思いましたか?
Hoodoo Fushimi:思うことが沢山あってどこから話を始めればというところなんですけど、そもそも彼がMCバトルをやっているんだと言ったのが高校一年の夏で、「こないだの大きな大会で勝った」と突然言われたんですよ。それを初めて聞いたもんだから、えぇ!と驚いて。好きでヒップホップを聴いていたのは知っていたんですけど、そういうのに出てるとは全く思ってもみなくて。それまではMCバトルの存在は知っていても興味はなかったんですけど、それが機会で見るようになって面白さは当時感じてはいたんですけど、僕は音楽的な部分でヒップホップやラップミュージックに興味を持ったもんだから、言葉のやり取りで勝敗が決まることには興味が持てなくて。勝敗に関係なく音楽性が高いのは見ていて面白いんですけど、最近のバトルはそういう傾向が強まっていると思っていて。音楽とは関係のない部分で話芸の勝負になっていると思うんですよ。

-MCバトルの言葉尻が強い人が評価されているっていう部分は、極端に言うと学校で生徒が言い争っていて、そこに審判がいて勝敗を決めているようなものだと思うんです。でもそれってヒップホップが持っていたビートに言葉をのせるっていう部分や音楽性とは関係なく、そういう文化として成熟してしまっていますよね。
Hoodoo Fushimi:そうですね。だからMCバトルから引退したいっていう気持ちはよく分かります。彼が過去にバトルに出た時の映像がいくつか残っていて、このバトルは面白かったねっていうのもあるんですけど、本人も言っているのは相手と化学反応が起きて、音楽的に面白い部分が生まれたのは見ていて面白いなと思いました。だから引退するっていう判断は良いんじゃないかと思いました。

-それではどうしてレコードレーベルから独立したのでしょうか。
Lick-G:自分が一つ一つ作業をしていく中で、そこから得る収穫をダイレクトに吸収したいっていうのがあって。自分のスタイルを考えた時に、やっぱりマイペースでやった方は良いのかなと思ったのが独立のきっかけです。

-実際にレーベルからリリースするのとご自身でやるのとではどちらが良いっていうのはありますか?
Lick-G:向き不向きもあるので、一概には言えないんですけど、自分で何かやるっていうのが好きなんで個人レーベルをやっていくっていうのも楽しみの一つで。自分で何かやりたいって気持ちが強くなって、いざこういうことができて毎日が充実しています。レーベルにいるときよりも今の方が遥かに自由さは感じますね。自分で色々とやるのは人に任せるよりも大変な部分はたくさんあると思うんですけど、それをやってこそ楽しい部分も当然出てくるんで。
Hoodoo Fushimi:彼が全部一から十までやるっていう大変さは傍から見ていて感じますけど。レーベルにいる時はスタッフの方におまかせできるんだけれども、今は雑用も自分でやらなきゃいけないし、大変さはあると思うんですけど、本人の性には合っているんだと思います。

-ここで世間一般のお父さんだったら二十歳そこそこで独立するのか!って喝を入れられるところだと思うんですけど、稔さんは独立の話を聞いた時に反対はされなかったんですか?
Hoodoo Fushimi:性格をよく分かっているのでね(笑)。前に彼が答えていたインタビューを読むと、「もし自分の子供がラップで食っていくなんて言ったらぶん殴りますよ」なんて言ってたんですよ(笑)。よく分かっているんで本人にお任せですね(笑)。
Lick-G:(苦笑)。

-お父さんが稔さんだからこそ独立したいって言えたっていうのもあるんでしょうね。
Lick-G:そうですね。理解があるんで感謝してます。

-では絃さんから見て、稔さんが作った過去のアルバムを聴いてどう思いましたか?
Lick-G:最初に聴いていた時は子供の時だったんで、よく分からなかったんですけど、今聴くと本当に尖っているし、当時からしても異質だったのは今でも想像できますね。音楽性が高いっていうのもありますし、それの現代版として今回共同で曲を作れたというのは嬉しいし、すごいことなんだと思います。

-僕も今回教えて頂いたことがきっかけで稔さんのアルバムを聴いたんですけど、ユニーク過ぎて本当にすごいなと思って。今までに10万枚以上のCDがあるレコードショップで働いていた経験があるんですけど、こんな音楽があったのかと思うくらいで。当時からすると斬新過ぎる音楽だったと思うんですけど、今聴いても新しいと思えるのはすごいと思います。稔さんの当時のレコードはレア盤として高値で取引されているとも聞きますし。
Hoodoo Fushimi:そうみたいですね。でも私が一番嬉しいのが海外で聴いてくれている人が増えたことですね。編集盤も今回の4作目のアルバムのリイシューもそうなんですけど、ずっとイギリスやアメリカの音楽を聴いていて、海外でレコードが出てそれを聴いてもらえるというのはすごく嬉しいことでしたね。海外からずっと影響を与えてもらっていた結果、できた音楽を向こうの人もそれ面白いねって評価してくれたということは一矢報いるというか逆に少しだけ恩返しができたのかなと思って。ただ当時は自分が音楽を作る原動力って教育現場で感じたフラストレーションで。夜中に音楽を作っていましたけど、当時の日本の音楽にも不満を持っていたんです。今は日本のシティーポップが再評価されるようになりましたけど、今でもそういう音楽には惹かれなくて。私の見方が人とは違うと思うんですけど、楽曲のクオリティーは良しとしてもガツンとくるものがないんですよ。でもそれが海外のヒップホップにはあって。それが何かと考えると計算ずくで作った音楽ではなくて、止むに止まれぬ衝動があるものに惹かれるんですよね。そういうえぐ味が同時代の日本の音楽にはなくて。基本的には日本の音楽って海外の音楽がベースにあって、それの翻訳系でしかなくて。そういうところから私は日本の伝統音楽に惹かれていったんです。

-ヒップホップから日本の伝統音楽に興味が移っていったと。
Hoodoo Fushimi:意外に思われるかもしれませんけど、日本の伝統音楽って海外のブラックミュージックが持っていたようなすごいパワーがあるんです。向こうのブラックミュージックはブルースから発展してきたっていうルーツを大事にしているけど、日本はそういうものがないんですよね。いきなり海外から持ってきたちぐはぐなものを組み立てていって、伝統はどこか古臭いものっていう認識すらある。私も当時は三味線や琵琶の音を入れると安易だと言われることもありました。でも自分自身は自分の音楽に正直でいようと思って、良いと思ったブラックミュージックや伝統楽器を取り入れてやっていただけなんですけど、そういう人はあまりいなくて。世間の評価は異端というものだったんじゃないでしょうか。

-僕らもBELONGという音楽メディアをやっていて、コンセプトはアーティストの音楽やカルチャーのルーツを掘り下げるというものなんですけど、日本だとそれが疎かにされていると強く感じることがよくあります。なので先ほどのお話は共感する部分が多々ありました。
Hoodoo Fushimi:ラップに惹かれたのも日本伝統の音楽的話芸あるいは話芸的音楽に近いと思ったからなんです。民謡と似ているところもあるし、明治大正時代の音楽的話芸はラップと通ずるものがあるんです。

-日本語ヒップホップだといとうせいこうさんが先駆者だと思うんですけど、そのせいこうさんが番組をやっている『白昼夢』っていうのあって。そこで講談師の神田松之丞が出てきたんですけど、張扇で調子を合わせて口調を変えて話すというのはラップと通ずるものがあると思いましたね。講談は明治に全盛期を迎えてから衰退したそうなんですけど。
Hoodoo Fushimi:そうですね。日本でもヒップホップブームが起きた後は、雨後のタケノコのように日本語ヒップホップがどんどん出てきましたけど、私が思うのは、どうして明治大正時代の音楽的話芸が現代にも通ずるような新しいものにならなかったのかと。ラップがむしろ日本から現れても良かったんじゃないかと。今の時代の海外のラップのトラックを聴くと琴の音を使ったり、和風のテイストの曲もあったりするんです。やっぱりそういう音楽って海外の人も惹かれるんだと思って。だから日本の伝統音楽は古臭いとか、今に通じないってことはないんですよ。でも日本ってやってみる前にこれはダメだって決めつけるんですよね。

-絃さんもラップをやっていると批判されることも多いかと思うんですけど、そういうのってどう受け止めていますか?
Lick-G:海外の音楽を聴いて思うのは、向こうの人は良いと思ったり、面白いと思ったりするから何か新しい材料を取り入れてそれを出すっていうシンプルな発想であって、それって当たり前だと思うんですけど、日本の場合は形だけを見て、本質を見る前にすぐダメ出しする人が多いというか。単純に良いものに良いと言えなくて、偏見が当たり前の世界という気がします。そこは自分が音楽で証明して変えていきたいです。

-日本って出る杭は打たれるっていう文化がありますよね。それって昔から音楽だけじゃなくて絵画でも同じことが繰り返されてきていると思うんですよ。大正時代にパリで成功した藤田嗣治っていう画家がいるんですけど、日本では酷評されていて。色々とあって最終的には日本を出ていかざるを得なくなってしまったんですよ。その後はフランスで暮らしたそうなんですけど、日本国籍を捨てて、キリスト教の洗礼まで受けたんですけど、晩年暮らした家には日本から持ってきたものを大事に飾っていたそうなんですよ。だから出る杭は打たれるっていうのは今に始まった話ではないんですね。
Hoodoo Fushimi:私のアルバムの歌詞では批判的な内容が多いんですけど、1992年の最後のアルバムで当時、批判して歌っている内容も10年、20年後には変わっているんじゃないかっていう期待を込めていたんですけど、30年経った今でもそう変わってないなって思いますね。

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クレジット:Written by Lick-G、Produced by Hoodoo Fushimi

ライター:yabori
yabori
BELONG Mediaの編集長。2010年からBELONGの前身となった音楽ブログ、“時代を超えたマスターピース”を執筆。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル・​後藤正文が主催する“only in dreams”で執筆後、音楽の専門学校でミュージックビジネスを専攻

これまでに10年以上、日本・海外の音楽の記事を執筆してきた。

過去にはアルバム10万タイトル以上を有する音楽CDレンタルショップでガレージロックやサイケデリックロック、日本のインディーロックを担当したことも。

それらの経験を活かし、“ルーツロック”をテーマとした音楽雑誌“BELONG Magazine”を26冊発行してきた。

現在はWeb制作会社で学んだSEO対策を元に記事を執筆している。趣味は“開運!なんでも鑑定団”を鑑賞すること。

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Twitter:@boriboriyabori

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