最終更新: 2024年9月21日
ロンドン出身のシンガー・ソングライター、Nilufer Yanya(ニルファー・ヤンヤ)の最新アルバム『My Method Actor』を初めて聴いたときに真っ先に思い浮かべたのは、『Kid A』以降のRadioheadのビートプロダクションだ。
前作『PAINLESS』からNinja Tuneへ移籍して新たなモードに突入したNilufer Yanya。今作は彼女のルーツであり、現在の拠点としているロンドンの、特にジャズ由来のビートを土台にコラージュされるインディー・ロックやR&B、ソウルミュージックのサウンドが特徴になっている。
これまで以上に音楽的なアイデンティティーと向き合い、自身をさらけ出した、そんなアルバムと言えるだろう。
そんなこともあり、今回のインタビューではロンドンについてや、そこでの暮らしについて詳しく聞かせてもらった。
そしてその回答は、『Kid A』以降のRadioheadというファーストインスピレーションや、アルバムのモードがなぜそうなったのかを裏付けるものとなっていた。
その他、彼女が参加したBombay Bicycle Clubの「Meditate (feat. Nilufer Yanya)」についてや、『My Method Actor』というタイトルについてなども幅広く話を訊いた。
目次
Nilufer Yanya インタビュー
アーティスト:ニルファー・ヤンヤ インタビュアー:滝田 優樹 通訳:原口美穂-今日はどちらに?
ニルファー・ヤンヤ:今日は仕事でリーズにいるの。田舎の小さなレコード店を回るツアーをやってて。住んでるのはロンドンなんだけどね。ロンドンに比べてこっちはもう寒い(笑)。
-着ている服が確かに寒そうですね!では、早速インタビューを始めさせて下さい。私たちはアーティストのルーツや音楽が生まれた背景、そして影響を受けた音楽・文化・芸術を大切にしているメディアです。今回、私たちとは初めてのインタビューということや、最新アルバム『My Method Actor』が“人生を変えるような思い出を見つけることに基づいている。”(事前にいただいたアルバムの資料に記載されていました)ということもあるので、まずはあなた自身のことから教えてください。ウエストロンドンのチェルシー出身ですよね。チェルシーでの幼少時代はどのように過ごしていたのでしょうか。
私はシャイで、おとなしい子供だった。そして同時に、すごくクリエイティブだったのよね。いつも絵を描いたりしてたし、音楽も大好きで毎日聴いてた。子供の頃はピアノも習ってたし、12歳〜13歳くらいでギターも始めたの。
-チェルシーという土地のことやそこでの暮らしのことをおしえてもらえますか?
ロンドンの中心にあるエリアだから、本当に活気があって面白い場所だと思う。あと、裕福な人たちが多いの。でも私の両親は二人ともアーティストだったからうちはそこまで裕福じゃなかったけど(笑)だから、普通のチェルシーの生活やライフスタイルは私のものとは少し違っているんじゃないかな。
-チェルシーという場所に何らかのインスピレーションをもらっていると思いますか?
それはないかな。ロンドン全体からインスパイアされているのは間違いない。ロンドンって本当にたくさんの区や地域があって、それぞれが全然違うから。だから、チェルシーというよりはロンドンに強いつながりを感じてる。それは私の音楽にも何らかの形で出てきていると思う。私の声もそうだしね。
-トルコ系のお父さんとバルバドス・アイルランド系のお母さんを持っていて、どちらもアーティストだったこともあり、様々な音楽が流れる芸術家の家庭に育ったようですね。また、お姉さんはあなたのMVを撮ったこともあるようですね。実際に幼少時代に家で流れていた音楽や愛聴していた音楽はどのようなものだったのですか?
姉は私のすべてのMVを撮ってくれてるの。昔聴いていた音楽で私が大好きだったのはインディー・ロック。そこからThe Cureにハマっていって、Pixiesも大好きになった。そしてその後好きになったのはニナ・シモン。そんな流れかな。その勢いで色々と音楽を発見していって、ギターにのめり込むようになったの。
-おそらくそれは自分が好きで聴き始めた音楽だと思うのですが、自ら音楽を聴き始める前、幼少期、家ではどんな音楽が流れていましたか?
父親がトルコ人だから、家ではトルコのクラシック音楽が流れてた。母親もクラシック音楽が大好きだったのよね。あと、母は毎日ピアノを弾いていた。モーツァルトとかそれ系のクラシック音楽。あと、母はキャット・スティーヴンスやサイモン・アンド・ガーファンクルも大好きだったな。でも母親は、音楽は大好きだけどあまりたくさん音楽を聴くタイプではないの。その代わりに常にピアノを弾いてる。だから、音楽が流れている家ではあったけど、様々な音楽に囲まれていたわけではないのよね。
-さっき話してくださった、インディー・ロックやその他音楽とはどうやって出会ったのですか?
姉のモリーの影響。彼女は私より6歳も年上だから、彼女からはすごくインスパイアされていたの。私は常に彼女が何を聴いているかを知りたくてたまらなかった。姉が聴いていた音楽を聴いて興奮していたのを覚えてる
-あなたの音楽的な経歴を調べさせていただいたところ、6歳の頃にピアノを始め、12歳のころにギターを習って本格的に音楽を始めたそうですね。ピアノとギターを始めたきっかけは何だったのでしょうか。もし、それぞれの楽器を演奏し始めた当初の気持ちだったり、その当時の経験が今のあなたの音楽にどのように反映されているかなども、覚えていたら知りたいです。
ピアノは18歳まで続けた。誰かがうちにピアノをくれて、まず母がピアノを大好きになって、それからどうやら私もピアノを気に入っていたらしいの。それで母が私にレッスンを受けさせることにしたみたい。ギターは、これまた誰かがうちに古いギターをくれて、ピアノと同じく気に入って、そのギターを毎日どうにか弾こうとするようになった。そして中学に入ると、学校でたくさん音楽のクラスがあったから、そこでギターを学び始めたの。多分ピアノを習った経験は、音楽を理解するのにすごく役立ったと思う。私の音楽性を形成するという点でもすごく助けになった。あと、弾けるようになっていって何か得意なものができるというのはすごく気持ちが良かった。それでさらにのめり込むようになったのよね。でもギターはそれとは違って、弾けもしない時からすでに大好きだったの。だから、欲望のままに続けていった感じ。
ニルファー・ヤンヤのルーツ
-学生時代にはPixiesの「Hey」をカバーしていたり、The Cureやジェフ・バックリー、ニーナ・シモンなどからも影響を受けたことを公言していますが、そのなかでもあなたの音楽に影響を与えたアルバム3枚を挙げるとすれば、どれですか。また1枚ずつ、どのような部分に影響を受けたかやエピソードについても教えてください。
Pixiesの『Doolittle』は確実に私にとっての大きなインスピレーションの一つ。15歳の時に聴いたんだけど、正直全部聴いたとは言えない。でも、あのアルバムに収録されている何曲かに聴いてすぐ夢中になったの。スタイル、構成、アレンジ、奇妙な歌詞に何かすごく近いものを感じて。だからあのアルバムは私に大きな影響を与えた一枚だと言えると思う。
そして2枚目は、エリオット・スミスの『Either/Or』。彼の音楽とは18歳か17歳の時に出会ったんだけど、Pixiesと同様、あの他とは違うライティング・スタイルに惹かれたのよね。いつも自分のやり方を貫いているところ、曲はほとんどがギターだけで作られていて他のものをあまり加えないところが好きだった。あの頃、私はギターのためだけに曲を書いていて、一人でライブをやっていたの。だから、彼の作風や歌詞、とてもオープンな人柄に共感していた。彼の多くの曲は、率直に悲しみを歌っている。それを鬱陶しいと感じる人もいるかもしれないけれど、私は鬱陶しいとか暗いとか思ったことは一度もない。暖かくて、正直で、どれも本当にいい曲だと思う。私は彼の音楽のライティングやメロディ、そしてある意味ちょっとした不気味さに圧倒されたの。
そして3枚目は、PJハーヴェイのアルバム『Rid Of Me』。このアルバムの「Rid Of Me」という曲を自分のライブでも演奏しているくらい大好き。数年前にこの曲のヴァージョンもリリースしたしね。曲の「Rid Of Me」を初めて聴いたのは14歳か15歳くらいの時で、誰かからきっと気にいると思うよって言われたから聴いてみたんだけど、最初はあまり理解できなかった。当時の私の耳は、まだ未熟だったんだと思う。でも後になって大好きになったの。もう何年も、たまに“あ、あのアルバムを聴かなきゃ”って思い立って聴き続けている。あの奇妙さがすごく好きで。で、コロナ禍の時にPJハーヴェイを一から聴き直したんだけど、その時も「Rid Of Me」を何度も聴いて、そこからたくさん学んだ。あの曲は、常に私のそばにいてくれているような気がする。まるで友達みたいな存在なの。
-今回、アルバムのリリースが決まってからはSNSでカフェでの写真やご自宅での写真のポストが増えた気がします。今はウエストロンドンに住まれているようですが、現在はどのように過ごされているのでしょうか。また、あなたと同じくロンドンに住まわれているロレイン・ジェームスやMount Kimbieにインタビューした時にも同じ質問をしたのですが、ロンドンは世界有数の音楽都市で、その時々でホットな音楽も異なることから、最新のロンドンの音楽事情も気になります。
実は、去年引っ越して今住んでるのはイーストロンドン。ロンドンの家賃ってすごく高くて、生まれ育った場所に住み続けるのって大変なのよね。でもイーストロンドンも大好き。これまでとは違う場所で生活するのも新鮮だし、実は音楽をやってるとイーストロンドンの方が住みやすかったりもする。音楽のためのスペースやスタジオがたくさんあるし、正直こっちの方がよりコネクションを感じたりもしているの。ウエストロンドンって住宅地だから。
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-ロンドンについてどんな場所か聞いてもいいですか?
街の中心にあるからすっごく活気があって、色々なことがたくさん起きていて、常にやることがある。でもロンドンって物価がかなり高くて、クリエイティブなプロジェクトに取り組んでいる人は活動するのがちょっと大変かなと思う。今は多くの人々がロンドンを離れて、他の都市に移っているみたい。私の周りでも、物価が高すぎるという理由でロンドンを離れた友人もたくさんいるしね。ロンドンには多くの人々が住んでいるけど、皆ロンドンで働くために来ている人たちばかり。音楽シーンは、今はバンドがまた盛り上がってると思う。バンド・ミュージックのファンが戻ってきた感じね。しばらくはジャズのシーンの影に隠れていたけど、今ジャズはそれを経てメインストリームになってきた気がする。それはそれでいいことだと思うけどね。でも今インディーで活気があるのはやっぱりバンドかな。グランジっぽいサウンドとか。
Artists In Transitの活動について
-あなたが創設メンバーとなっているコミュニティ・プロジェクト“Artists In Transit”についても教えてください。避難民のコミュニティや苦難の時代にある人々にクリエイティブなワークショップやその他の支援を行っているということで、私も日本の人々にこの問題について知ってもらうきっかけや考えるきっかけになればと思っています。こちらのプロジェクトを立ち上げるいきさつや実際にどのような問題があって、どのような支援を行っているのか詳しく教えてもらえると嬉しいです。
そのプロジェクトは、私と姉が2016年に始めた取り組みで、基本的には家を追われた人々や家を持たない人たち、あるいは難民のように旅をしている人たちと一緒に作業し、アートを作り、彼らと交流を深め、つながり、連帯感を示し、アートや空間を通して彼らに何かに集中する時間と機械を与え、それによって彼らをサポートするプロジェクトなの。彼らがそれを気に入ってくれるかどうかはわからないけれど、私と姉にとってはアートは人生においてとても重要な存在だったから、それを皆とシェアしたいと思ったの。
-誰のアイディアだったのですか?
姉のアイディア。2016年当時、大規模な難民危機は常に起こっていたけれど、ギリシャでは多くの人々がヨーロッパに入ろうとして、何ヶ月も何ヶ月も身動きが取れなくなっていたの。状況は悪化するばかりだったから、私たちはまずギリシャのアテネに行き、難民キャンプでワークショップをすることにした。そしてその後、このプロジェクトを始めることにしたの。今ではロンドンでの活動も増えたのよ。
-前にBombay Bicycle Clubへインタビューした時にあなたが参加された「Meditate (feat. Nilufer Yanya)」についても彼らに聞いたところ、“僕たちは常にお気に入りのアーティストをプロモートすることに関心があった”“僕たち4人だけでは見つけられない方法で曲を高める必要があった”“どのように貢献したかにかかわらず、重要なものになった”といきさつや感想を教えてくれました。実際に彼らの楽曲に参加してみての感想やエピソードがあれば教えてください。
若い頃から彼らの大ファンだったから、あのコラボが起こったのは本当にクレイジーだった。まさか彼らと一緒に仕事ができる日が来るなんて思ってもみなかったから。自分が聴いていた音楽を作った人たちが自分の音楽を知ってくれていて、しかもそれを気に入ってくれて、彼らのアルバムに参加して欲しいとまで言ってくれるなんて、本当に嬉しい。私は曲作りには参加していなくてただ歌うだけだったんだけど、本当に楽しかった。あと、アレクサンドラ・パレスでのショーも素晴らしかったし、彼らがどのようにバンドを動かし活動していくのかをこの目で見ることができたのは本当に良い経験だったと思う。
My Method Actor
-ここからは最新アルバム『My Method Actor』について、お聞きします。今回もとても心を揺さぶられる最高の内容でした!印象的だったのがビートプロダクションです。特に生や加工されたドラムの音が全面的に押し出されている気がしていて、「My Method Actor」や「Mutations」などシンプルかつ技巧的なビートが特徴的で、身体を揺らしながら全身で今回のアルバムを楽しませていただきました。なので、まずはビートプロダクションから聞きます。今回、ビートプロダクションについてはどのようなところに重点を置いていたのでしょうか。また、これについてはNinja Tuneへの移籍されたことも大きく関わっているのでしょうか。(個人的にNinja Tuneに所属しているアーティストはビートプロダクションが卓越している印象です)
サウンドがそうなったのは、一緒に仕事をしたプロデューサーの影響だと思う。彼はドラムの音にすごくこだわりがあるから。そして彼は、私のバンドのドラマーのエリスのドラムの叩き方に夢中で、エリスがどう演奏するかを考えてビートを書くことも多かった。ウィル自身は自分はドラムが得意ではないと言ってるんだけど、彼はレコーディングされたドラムサウンドを使って繋ぎ合わせるのがうまくて、そのやり方で多くのビートを作ったの。エリスのドラムは、取り直したものもあったけど、結果的にはデモをそのまま使った方が多かった。そっちの方がいい音だったのよね。だから、Ninjaに移籍したことはあまり関係ないかな。でも、ドラム音を気に入ってくれたのはすごく嬉しい。私がウィルと仕事をすることが大好きな理由の一つでもあるんだけど、彼が思いつくループは素晴らしいの。他の誰にも彼のループは作れないと思う。
-今作の資料では曲のコンセプトがどのように生まれたかについて“人生を左右するような、人生を変えるような思い出を見つけることに基づいている。”と語っていましたね。こちらについて詳しく教えてください。また、今回のコンセプトが生まれるきっかけとなる出来事やアルバムのテーマについても知りたいです。
メソッド・アクティングについての本を読んでいたんだけど、メソッド・アクティングの理論では、そのキャラクターを体現し、そのキャラクターをたくさん研究し、それを終える頃にはそれが自分の記憶となり、演技をする必要がなくなるの。そうやって自分が演じたいキャラクターと繋がる。つまり、つなぎ目のない一体化みたいなものが起こるのよね。私はメソッド・アクティングを研究したり実行しているわけではないけれど、その本を読んでいて、自分が音楽やパフォーマンスを通してそのアプローチをしている気がした。必ずしも音楽活動を通してなりたいキャラクターがいるわけではないけれど、私がすべきことは自分自身であろうとすることだけであり、演じる必要はない。そのバージョンの自分を見つけるために私がやらなければいけないのは、演じるのではなく自分自身を掘り下げることなの。私は、仮面をつけたりコスチュームを着て表に出ることはできない。そのために、私は自分自身が誰なのかを見つけることに集中する必要があったのよね。私はそうやって自分自身とリンクしてきた。コンセプトはそこから来たと言っていいと思う。アルバム・タイトルも、「Method Actor」の歌詞から取ったの。
-アルバムの制作はクリエイティブ・パートナーであるプロデューサー・マルチ奏者のウィルマ・アーチャーとスタジオにこもって進められたそうですね。そこではどのようなディスカッションやアイデアの交換をもって、制作は進められたのでしょうか。
制作には、あまり事前に話し合いをしないまま取り組んだの。そうすれば、自分たちの持っているアイディアがより強く反映されるだろうと思って。他の人たちの意見は気にせず、本当に自分たちのやりたいことにフォーカスしようということだけ話したと思う。
-サウンド面でも「Keep On Dancing」や「Call It Love」、「Just A Western」などミニマルな構成で楽器ひとつひとつの音が際立つような響きで紡がれていたのも印象的でした。それゆえにソングライティングが行われた当初のあなたのファーストインプレッションも活かして曲作りを進められたのかと感じたのですが、いかがでしょうか。そしてそれらの楽曲を聞いたことでより、あなたの音楽的なアイデンティティーにも触れられた気がしています。
ある意味そうかもしれない。ウィルと一緒に作業したことで、彼が私に再び自分らしくなる力を与えてくれた気がするから。だから、特にメロディやリズムはもっと本能的で自然になっていると思う。そういう部分は、いい意味で確かに若い頃の自分を思い出すかも。頑張ることって大切なんだけど、頑張りすぎないことも必要なのかもしれない。自然に出てくるものを活かすことも大切だから。
-制作上でブレイクスルーになった曲もしくはあなたの音楽にとってもっとも変化を感じさせる曲はありますか? もしあれば、理由も併せて教えてください。
「Like I Say」かな。あの曲を作った時は、一瞬でこれはシングル曲だなと感じたから。他の曲を書いていた時はそういう感覚にはならなかったんだけどね。「Like I Say」は、皆が気にいるような気がしたの。それからもちろん、「Method Actor」も。あの曲は結構早めの段階で書いた曲だったから、方向性を定めてくれたと思う
-『My Method Actor』をどのような人に聞いてほしいですか? もしくはどのようなシチュエーションで聞いてほしいですか? 歌詞やサウンド面で特に注目してほしいポイントがあれば教えてください。
どんな人にも聴いてほしい。興味を持ってくれた人全てが聞いてくれたら嬉しいな。あと、ギターやドラムが好きな人たちにはより楽しんでもらえるかも。シチュエーションは、旅をしている時。電車とか、車の中とかね。注目してほしいポイントは、とにかく作品を聴いて何かを感じてもらえたら私にとってはそれが大きな意味がある。リスナーの皆が何か感じることができたらそれでいい。その時初めて、その曲は曲としての役割を果たしていると言えると思うから。
-たまに日本にも遊びに来てくれていますね。日本にはあなたの来日公演を楽しみにしているファンがたくさんいます。最後に、その人たちに向けて、メッセージをください。
日本は大好き。2019年に行って以来しばらく行けてないんだけど、また日本に行きたいな。皆に会える日が来るのが楽しみ私の兄弟が京都に留学していたから、数週間京都に滞在してたこともあるの。その時にすごく京都を気に入った。すごく素敵なお正月を過ごしたこともあるし、次回はもっと田舎や自然を見てみたいな。あと、前回行った時はヴィーガン(※肉・魚・卵・乳製品・ハチミツのあらゆる動物由来の製品を口にしないライフスタイル)だったんだけど今はペスカタリアン(※肉や家禽(ニワトリやアヒルなど家で飼う鳥)は食べないものの、魚や貝類、野菜、卵、乳製品、豆類、穀物などを食べる菜食主義の一種)だから次回はもっと食も楽しみたい(笑)
-インタビューのお時間を頂き、ありがとうございました。あなたが来日する日を楽しみにしています!
こちらこそありがとう。ではまた。
Nilufer Yanyaアルバムリリース
3rdアルバム『My Method Actor』
発売日: Now On Sale
収録曲:
01.Keep On Dancing
02.Like I Say (I runaway)
03.Method Actor
04.Binding
05.Mutations
06.Ready for Sun (touch)
07.Call It Love
08.Faith’s Late
09.Made Out Of Memory
10.Just A Western
11.Wingspan
フォーマット:Mp3、CD、アナログ
Amazonで見る
Nilufer Yanyaプロフィール
“ニルファー・ヤンヤは、インディーロック、ジャズ、サイケデリアを電子音楽と融合させる多才なイギリスのアーティストです。2016年のEP「Small Crimes」で注目を集め、2019年にデビューアルバム「Miss Universe」をリリース。2022年の「PAINLESS」では、さらにジャンルを越境した音楽性を展開し、批評家から高い評価を得ました。2024年には新レーベルから「My Method Actor」をリリースし、グランジやヒップホップの要素も取り入れた実験的な音楽を追求。ヤンヤの音楽は常に進化を続け、独自の世界観を構築しています。彼女の作品は、深い内省と探求的な歌詞、多様な音楽的影響を特徴とし、現代のイギース音楽シーンで独自の位置を確立しています。”
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ライター:滝田優樹
1991年生まれ、北海道苫小牧市出身のフリーライター。TEAM NACSと同じ大学を卒業した後、音楽の専門学校へ入学しライターコースを専攻。
そこで3冊もの音楽フリーペーパーを制作し、アーティストへのインタビューから編集までを行う。
その経歴を活かしてフリーペーパーとWeb媒体を持つクロス音楽メディア会社に就職、そこではレビュー記事執筆と編集、営業を経験。
退職後は某大型レコードショップ店員へと転職して、自社媒体でのディスクレビュー記事も執筆する。
それをきっかけにフリーランスの音楽ライターとしての活動を開始。現在は、地元苫小牧での野外音楽フェス開催を夢みるサラリーマン兼音楽ライター。
猫と映画鑑賞、読書を好む。小松菜奈とカレー&ビリヤニ探訪はライフスタイル。
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