最終更新: 2025年5月29日

自分にとってSAVAGES(サヴェージズ)は2010年以降における最も偉大なバンドの一つだ。

バンド自体の活動は2017年より休止しているが、このインタビュー実現はまさに奇跡。

改めてインタビューをセッティングしてくれた”ベラ・ユニオン”と真摯に回答をしてくれたフェイ・ミルトンに感謝を伝えたい。

Goddessは、ロンドンのポストパンク・バンドSAVAGESのドラマー、フェイ・ミルトンによるソロプロジェクトである。

きたる5月30日にはセルフタイトルアルバム『Goddess』がリリースされる。

アルバムにはDaughterのフロントであるエレナ・トンラ(Ex:Re)をはじめとする10人のシンガーが参加しているが、その全員が女性であり、ノンバイナリーとなっていることが特徴だ。

今回はそんな彼女がドラマーからプロデューサーの役割に足を踏み入れ、女性的なエネルギーを強く流したというデビューアルバム『Goddess』についての話題を中心に、

音楽的ルーツから日本と彼女の関係と仏教、そして2019年に共同設立したという気候変動アクティビズムのチャリティ団体“Music Declares Emergency”での活動についても話を伺った。

また、BELONG Media / A-indieでは、GoddessのZOOMを用いたオンライン・アナログ試聴会を2025年6月7日(土)日本時間 午前10時~開催する!

Goddessアナログオンライン試聴会

試聴会の詳細と参加方法は⏩️こちらもしくは上記のフライヤー画像をクリック🖱️

ロンドンでの幼少期とルーツ


アーティスト:フェイ・ミルトン インタビュアー:滝田優樹 翻訳:BELONG Media編集部

-滝田優樹:私たちはアーティストのルーツや音楽がうまれた背景、そして影響を受けた音楽・文化・芸術を大切にしているメディアです。今回私たちとは初めてのインタビューなのでまずはあなた自身のことからお聞きすることで読者にもあなたの魅力を知ってもらいたいです。まずは出身地であるロンドンではどのような幼少期を過ごしていて、どのような暮らしをしていたのか教えてください。ロンドンという土地についてやそこで触れたものやことを知りたいです。
フェイ・ミルトン:私はロンドン南東部のブロムリーという区で育った。ブロムリーはパンクやポストパンクシーンにルーツがあって、”ブロムリー・コンティンジェント”っていうSiouxsie SiouxとかSteve Severin、Billy Idolがいたグループもいたよ。David Bowieもこの地域で育ったから、この静かな郊外には豊かな音楽の歴史があるのよね。子供の頃はパーカッションを習っていて、放課後や週末には地元のミュージックセンターで友達みんなと一緒にウィンドバンドやオーケストラ、パーカッションアンサンブルで演奏していたよ。母が現代クラシック音楽の熱心な聴き手で、子供の頃にロンドン中心部にあるサウスバンク・センターやバービカンでのコンサートにたくさん連れて行ってもらえたのは幸運だった。特に影響を受けたのは、スティーヴ・ライヒの「Clapping Music」やカールハインツ・シュトックハウゼンの「Momente」、それから「Japonica」という日本の実験的なエレクトロニカのコンサート。そこでは、それまで経験したこともないような方法でアーティストたちが音楽を演奏していたの。大学では、ワールドミュージックや現代音楽、音楽と音響コミュニケーションを色々学んだよ。若い頃に音楽が持つ可能性について視野を広げられたのは、本当に幸運だったと思う。

ドラムとの出会い

-滝田優樹:あなたが音楽をはじめるきっかけとなったものやきっかけも気になります。また、現在活動休止中であるSavagesのドラマーとしてもあなたは多くの人に知られているので、ドラムという楽器をはじめるきっかけを教えてください。
ドラムを始めたのは8歳の時。仲良しだったルーシーがやっていて、私は彼女のやることを何でも真似していたから(笑)。若い頃は楽器を習うのはごく普通のことだったけど、大人になっても続けるのはあまり普通じゃないよね。大学を卒業した時、しばらく音楽から離れて、数年間ビデオアーティスト兼映画製作者をしていたの。でも、失恋をきっかけに、急にまたドラムを叩きたい衝動に駆られて、できる限り練習するようになった。今回はバンドに加入したいと思ってドラムキットに向かった。あの失恋の痛みが、ドラマーにならなきゃっていう鋼のような決意を与えてくれたんだと思う。

日本での体験

-滝田優樹:18歳の頃には仕事の関係で日本の兵庫の山崎町に住んでいたそうですね。その当時の日本はどうでしたか? 何か記憶に残っていることや日本で刺激をうけたものがあれば教えてください。もしなければあなたが好きな日本の文化や音楽など知りたいです。
わあ、今は宍粟市って言うのね!18歳の時に日本に滞在したのは、人生で最も素晴らしい経験の一つだったわ。私たちは田舎で、認知症の方々のためのチェシャーホーム(※イギリスのレオナルド・チェシャー卿によって始められた、身体の不自由な人の新しい「暮らしの場」で、現在、55ヶ国、250以上のホームと在宅支援サービスを提供している。)で二人組でボランティアをしていたよ。たくさんの人にとても親切にしてもらったし、すごく楽しかった。バスで大阪まで行って、ホテルに泊まるお金がなかったから徹夜したりね。”アキ”っていう日本人のボーイフレンドもいたの。私にとっては大きな経験だった。若い人たちが、欧米のあらゆる音楽文化はもちろん、伝統的な日本の文化や、まったく別世界のファッション文化まで、情熱を持って文化を受け入れていることに衝撃を受けたわ。あんなに影響を受けやすい年齢で日本に滞在したことは、日本の文化がいつも私の一部であり続けているよ。

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