最終更新: 2025年9月23日

タイ・バンコクのインディー・ポップバンド、KIKI(キキ)による3枚目のアルバム『Death of a Daisy & Birth of an Oyster』を聴いた時のことだ。

Daft Punk無き今、これからは彼女たちの音楽がエレクトロポップの未来を展開してくれるんだ!と確信した。

ダンスビートの拡張と実験的なエレクトロニックサウンドとの融和、そしてそれを上手く手繰りながら着地させた彩りのあるポップミュージック。

日本をはじめとしたフランス、香港、韓国のフェスティバルに出演も果たし、外的な刺激を余すことなく昇華し、結晶化させた作品こそが『Death of a Daisy & Birth of an Oyster』である。

今回はそんなKIKIにデビューアルバム『Metamorphisis: Final Stage』のリリース以来のインタビューを行った。

前回から今作リリースまでの過程と日本の音楽シーンとの関わりやライブについて、『Death of a Daisy & Birth of an Oyster』がいかにして完成されたのかなど、ヴォーカルのヘレナに余すことなく訊いた。

以下はKIKIから日本の音楽に対するラブレターだーー。

English article here 🔗
English

飛躍を続けるタイの至宝、KIKIとは?


アーティスト:ヘレナ インタビュアー:滝田優樹 翻訳・編集・校正:BELONG Media / A-indie

-滝田優樹:『Metamorphosis: Final Stage』のリリース以来のインタビューとなります。その間、初の来日ツアーがあったり、2024年には”りんご音楽祭”への出演など、日本での活動も多かった印象です。まずはそれについてお聞きしますが、日本のリスナーはいかがでしたか?日本でのライブを行っての感想と、日本であなたたちの音楽が受け入れられていることについて感想を教えてください。

ヘレナ:まず、このような質問をいただく機会を設けてくださってありがとう。そして、みなさんこんにちは!

日本でのツアーは、最初のEP『We’re blamed for who we are and then we are forgotten』と、それに続く『Metamorphosis: Final Stage』をリリースして以来、初めての海外ツアーだった。正直に言うと、ツアーにはものすごく興奮していたけど、同時に自分たちがこの音楽シーンではまだ新人だってこともわかっていたから、不安も大きかった。KIKIの曲がどんな可能性を秘めているのかわからなかったし、もちろん、新しい場所を訪れて、みんなのために私たちの曲を演奏できるのは最高の喜びだったわ。

日本での最初のライブは大阪のConpassで、オープニングアクトはPictured Resort。次に京都のUrbanguildでSawa Angstromに初めて会って、それから名古屋のK.D Japonへ向かう途中でえんぷていと友達になったの。そして東京の月見ル君想フに着く前に、長野県のりんご音楽祭でパフォーマンスする機会があったのよ。最初のりんご音楽祭への出演は2022年で、2024年にまた出演できた。

日本のオーディエンスは本当に素晴らしくて、温かくて、親切だった。ライブを観に来てくれて、一緒に踊ってくれた人たちから、限りないエネルギーをもらったの。そのおかげで、このツアーから帰ったらすぐに2枚目のアルバム制作を続けたいって決心できたくらい。

今まで話したことなかったかもしれないけど、実はツアーの日、ボーカルの私は喉頭炎を患ってしまって。人生で一度も経験したことのないことだった。恐怖が襲ってきて、不安が高まって、日本でパフォーマンスするために海を渡っている間に、なんだか心が折れそうになった。オーディエンスには正直に、自分がベストな状態じゃないって伝えることが重要だと思ったけど、同時に、そんなことを言っても言わなくても関係ないとも思ったの。だって、私は自分の全てを出し切って、残っているエネルギーを全部注ぎ込む準備ができていたから。オーディエンスはどのライブでも私を支えてくれて、みんなのおかげで自分の状態を忘れさせてくれた。アドレナリンと、そこに加わった”愛”が最高の治療薬だったわ。

いくら言っても足りないくらいだけど、日本のオーディエンスは、私たちがツアーをしている間に、海外からこれほどのエネルギーとサポートを放ってくれた最初のグループの一つなの。それが私たちにたくさんの希望とインスピレーション、そして情熱を与えてくれて、私たちが一番得意なこと、つまりもっともっと音楽を作り続ける力になった。本当にありがとう。永遠に感謝してるわ。

KIKI Live

-滝田優樹:近年日本では、あなたたちのようなアジア圏で活躍するバンドの来日公演やツアーなどは多く開催されるようになりましたが、北米圏のアーティストのライブは残念ながら少なくなってきており、日本を飛ばして韓国や中国などでツアーをするアーティストも出てきました。それこそ、フジロックやサマーソニックでしか海外アーティストを観る機会がなくなってきています。そういった状況もあり、あえてタイで活動するあなたたちにお聞きしたいのですが、日本の音楽シーンやライブを行う際などの印象はどのように見えていますか?

ヘレナ:この質問はどちらかというと主観的なものだと思う。つまり、その時期の人々や状況によって本当に変わってくるってことね。私たちの場合、ツアーは世界的なパンデミックだったコロナ禍に行われたから、世界中の人々が経済的にも精神的にもあらゆる意味で影響を受けていた。私たちはもっと旅をする機会があったから、そこでパフォーマンスするたびにシーンをもっと見て、理解することができたんだ。そして気づいたのは、日本の音楽シーンは多様性(ジャンル)の面で成長していて、国内で作られたものではないものに対してよりオープンになっているということ。他の国の人たちが自分たちの国に来てパフォーマンスするのを、どれだけ楽しみにしてくれているか、その準備ができているかからわかる。そして、そういったサポートは、私たちが日本のオーディエンスからずっと受け取ってきたものなの。

日本は今でも、私たちが訪れてパフォーマンスするのに最高な場所の一つよ。違う場所でのライブ環境は、違う種類のクラウド(観客)を提供してくれるから。まるで、様々な環境でオーディエンスがどう反応するかを継続的に学んでいるような感じね。違う場所で生まれるダイナミクスは様々だけど、日本のシーン全体と環境は、私たちにとっていつも愛情深くて心温まるものなのよ。

フジロック出演の夢

Fuji rock(フジロック)
-滝田優樹:逆にタイでは、バンコクでサマーソニック・バンコクやRolling Loud Thailandが行われたり、2026年から世界最大級のエレクトロニック・ダンス・ミュージック(EDM)フェスティバル「トゥモローランド」を開催することが決まったりと、ここ数年音楽フェスを中心に海外のアーティストがタイでライブをする機会がとても多くなってきた印象です。それについてどう思いますか。また、今あなたたちが一番出演したい音楽フェスを挙げるとすればどれですか?理由も気になります。

ヘレナ:音楽は普遍的な言語だと思う。多ければ多いほど、多くの扉が開かれる。ここタイでは、フェスティバルやライブハウスが急激に増えていることで、人々が海外のバンドのライブに参加することに非常に興味を持っているのは、ほとんど社会現象のようになっているわ。タイでのライブが増えれば増えるほど、人々は毎日新しい種類の音楽や新しいバンドに触れる機会が増えるわけで、それは間違いなくすべての人にとっての勝利だと思う。

もし、どのフェスティバルで演奏したいかと聞かれたら、私たちはフジロックとコーチェラって答える(夢見てるって言われるかもしれないけど、まあね!)。まずフジロックは、私たちにとってずっと夢のフェスティバルの一つ。日本で最大級のフェスの一つで、毎年すごいラインナップだし、言うまでもなくフェスの舞台がとても美しい場所にあって、観客もクレイジーだから!コーチェラに関しては、言うまでもなく、私たちがいる場所からすごく遠くにある“ビッグネーム”のフェスの一つよね。いつか私たちの音楽が、夢見る場所に私たちを連れて行ってくれることを願っているわ。いつか、その夢が現実になることを願って。

-滝田優樹:ストリーミングサービスに加えて、自国でグローバルな音楽フェスが開催されるようになったことで、直接海外のアーティストや音楽に触れる機会が増えたと思いますが、現在あなたたちが共感したり、親和性を感じるバンドやアーティストはいますか?

ヘレナ:私たちがやることはすべて、敬愛するバンドへの個人的な好みに基づいているんだ。Daft Punk、Parcels、L’imperatriceは、私たちが創造性についてブレインストーミングするときに最も繋がりを感じるアーティストね。もう一つ、特に挙げたいのが日本のOvallね。以前、Empteiと一緒に演奏する機会があって、それがきっかけで友達になって「Daydream」という曲を一緒に作った。すごく気に入ってる曲よ。でも、Ovallとは実際に会ったことは一度もなくて、メッセージで考えやアイデアを交換することで「Bloom」という曲で一緒に作業する機会をもらえたんだ。

Ovallが私たちの存在を認めてくれるなんて、ましてや私たちの曲を知ってくれているなんて、思ってもみなかった。私の夫は、彼がフォローしていたギタリストが実はOvallのメンバーだと知るずっと前から、その人の大ファンだった。音楽を通じてコミュニケーションを取り、一緒に曲を作ることができたのは、私たちにとって最高の機会の一つだったんだ。音楽って魔法みたいだよね。

次のページこちら ⏩️