最終更新: 2025年10月9日
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サンフランシスコ発メリーナ・ドゥテルテ(Melina Duterte)によるソロプロジェクト、Jay Som(ジェイ・ソム)。
彼女が6年にわたる空白期間をへて、新作アルバム『BELONG』をリリースする。
今作を聴けばすぐにわかることだが、私の口からもしっかりと断言させてほしい。
間違いなく2020年代以降を代表する最高のインディーロック作品だ。
空白期間中には、自分のプロデュースとエンジニアリングの側面を追求したといい、『BELONG』はSpotifyやApple Musicなどのストリーミングサービス以降のアルバム作品で、
改めてアルバム単位で音楽を聴くことの楽しさを再提示した偉大な作品であり、Jay Somにとってもネクストステージに到達した重要な作品であることは間違いないだろう。
今回はJay Somに最新作『BELONG』を中心に空白の6年間についてや”プロダクションとオーディオ・エンジニアリング”経験”、そして自分自身の“belonging(所属)についてなど訊いた。
Jay Somが語る6年間の軌跡

音楽活動以外の日々について
-滝田優樹:私たちはアーティストのルーツや音楽が生まれた背景、そして影響を受けた音楽・文化・芸術を大切にしているメディアです。今回私たちとは初めてのインタビューなので、あなた自身のことからお聞きすることで読者にもあなたの魅力を知ってもらいたいです。今回のアルバムが前作『Anak Ko』から6年ぶりのリリースなので、まずはその6年間について教えてください。音楽活動以外のことだと、どこでどのように過ごしていたのでしょうか。答えにくければ、その時に聴いていた音楽作品や観ていた映画、触れていたアート作品を教えてください。
メリーナ:質問する時間をとってくれて本当にありがとう!あなたの好奇心と優しさに感謝してる。:)この6年間は、自分のプロデュースとエンジニアリングの側面を追求して、自分のホームスタジオや外部のスタジオで色々なアーティストと多くのプロジェクトに取り組んでいたの。あとは、プレイヤーとしてセッションの仕事もたくさんしたし、boygeniusのライブバンドでツアーにも参加した。すごく変化があって、勉強になった時期だったけど、同時にコロナのせいでストレスの多い時期でもあった。今でもその経験の後遺症みたいなものを感じるし、世界を生きていく中で、どうやって安定した人間、友人、そしてパートナーでいられるかを常に模索している感じね。
2022年頃からサワードウブレッド(※天然の酵母と乳酸菌の働きで時間をかけて発酵させるパン)を焼き始めたんだけど、正直言ってすごく上手だった(笑)。毎週友達のためにパンを焼いていて、それにかけた時間と労力は本当に価値があった。残念ながら今はグルテンフリーになっちゃったから、新しい趣味は、趣味仲間のジャスミンと一緒にオーブン粘土やポリマークレイでアートを作ること。私は小物に夢中で、何百個も集めてきたから、自分で作り始めるのは自然なことだったの。料理のミニチュアや動物を作るのが好きなのよね。
ドイツのドラマ『Dark』は2回観た。1回目はドイツ語で、2回目は英語の吹き替えで。今まで観た中で最高のテレビ番組かもしれない。パートナーとは『Mare of Easttown』を3回も観たの。映画は多すぎて挙げきれないな。
プロデューサーとしての目覚め

Jay Somからプロダクションへの転身
-滝田優樹:音楽活動だと、レーベルからいただいた資料には「プロダクションとオーディオ・エンジニアリングへの情熱を深め続けてきた」と記載があって、具体的にはJay Somとしての活動から離れてboygeniusの『the record』や、Lucy Dacusの作品でプロデューサーとして活動され、Troye Sivanやbeabadoobeeとの共演、そして映画『I Saw the TV Glow』のサウンドトラックへの参加など多岐にわたります。まずはJay Somとしての活動から離れて、プロダクションとオーディオ・エンジニアリングへの活動をするに至ったきっかけから教えてください。
若い頃から、音楽におけるプロダクションと、そこから得られる終わりのない知識の泉に深いつながりを感じていたの。最初は10代でバンドを始めて、20代前半はノンストップでツアーをするっていう古典的な道をたどって良かったと思ってる。そのおかげで、実生活での経験を積んで、コミュニティにいることの力学について学べたから。ソロアーティストとしての現実に正面から向き合わなければならなくて、自信を持ってスポットライトを浴びるのはすごく難しかった。何年もそんな生活を続けてきて、かなり不健康で持続不可能だと感じていたところに、ちょうどパンデミックが始まったから、少しの間、自分の道を変えるためのサインだと思ったの。2020年には、給付金を使って、使い方もわからないようなすごく高価なコンソールを買った。だから、知っているオーディオエンジニア全員に迷惑なくらい質問しまくって、YouTube大学やgearspaceで勉強した。ベイエリアに住んでいた頃は、友達のバンドやアーティストのプロジェクトを無料で、あるいはランチをおごってもらうくらいでレコーディングしていたの。たまに1曲25ドルから50ドルくらいもらったりもしたけど、プロとしてやっていくつもりは全くなくて、ただ学びたくて、楽しみたいだけだった。2020年から2021年にかけてはツアーの仕事がなくなったから、口コミやSNSを通じて、友達の友達や知らない人たちから、レコードのプロデュースやミックスをしてほしいって連絡が来るようになったの。その努力がどういうわけか、2022年にboygeniusとの2週間の人生を変えるようなセッションにつながって、自分がやっている仕事を続けよう、挑戦し続けて決して諦めないようにしようって、すぐにインスピレーションを受けた。プロダクションやエンジニアリングは、私にとってすごく感情的で技術的にも奥深いもの。音楽をより深いレベルで理解させてくれるし、ソングライティングやパフォーマンスとどう共存するのかを探求させてくれるのよね。
他者をプロデュースすることで得たもの
-滝田優樹:それらの活動を通して得たものはどういったものだったのでしょうか。ある意味ではJay Somはセルフプロデュースであって、他者のプロデュースとの違いもあったかと思います。
どれだけアスレチックで多面的かってことに気づいたの!ある日は、すごくチルな雰囲気で、自分が何をしたいか分かっている、とても仕事がしやすいアーティストと一緒だったりする。でも次の日には、お互いにどうコミュニケーションをとったらいいか分からないバンドと一緒だったりするから、私が彼らを導く光になって、彼らのために難しい決断を下さなければならないの。それは、他人のニーズが言葉にされる前にそれを予測すること、そして他人に対する自分の期待を管理することが全てなのよね。時々、音楽を作ることはその10%くらいで、自分の役割を知って理解することでもあると思う。それは、自分自身をプロデュースしている時には決して経験できないことね。
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