最終更新: 2026年3月4日
音楽を10年間、ほとんど人に聴かせなかったアーティストがいる。
沖縄在住のハクブンゴウは2015年、自主制作EP『交差点EP』を発表し、翌2016年6月にはP-VINEよりCD『彼がいうには』を発表したのち、諸般の事情で事実上の活動休止に入った。
しかしその間も音楽をやめていたわけではない。
琉球古典の三線を習い始め、ヒップホップのビートを作り、路上で英語のラップを試みていたようだ。
そして10年が経ち、“自分が一番得意なことをもう一回やってみよう”という気持ちが静かに戻ってきた。
J-POPのルーツ、日本語とメロディーの関係、沖縄とジャマイカの音楽的共鳴。
このインタビューでは、一人の音楽家が長い時間をかけて辿り着いた問いと、これからの活動への率直な思いを聞いた。
10年間の沈黙

アーティスト:ハクブンゴウ インタビュアー:yabori
-yabori:『交差点EP』10周年インタビューということで、ここ10年間の活動について聞かせてください。P-VINEからCD『彼がいうには』を出した後、まったく活動していなかったように見えます。一般的なリスナーからすると“ハクブンゴウって今何してるんだろう?なんで10年後に突然インタビューを受けているんだろう?”と思うはずです。実際、ハクブンゴウという名義ではライブもやったことがないんですよね?
ハクブンゴウ:そうですね、ここ10年間は表立っては全く活動していませんでした。当時、知り合いのカフェみたいなところで個人的に2回ほど歌ったくらいで、ハクブンゴウという名前を出して公式にライブをしたことはないです。
-yabori:この10年間、何をしていたのか教えてもらえますか?
ハクブンゴウ:普通に働いていました。CDのリリースと同時に就職したのですが、就職先が副業禁止だったので商業的な音楽活動ができなくなってしまったんです。
ギターから三線へ
-yabori:そうだったんですね。表立った活動はしていなくても、個人的に曲を作ったりはしていましたか?
ハクブンゴウ:はい、していました。ただ、基本的にはギターをあまり弾かなくなりましたね。あの時まではフォークソングを作っていたんですけど、CDを出した後は音楽性もいろいろ変わっていって、今は琉球古典の三線をメインでやるようになりました。それから、ヒップホップのビートを作ったりもしていて、公開したりはしていたんですけど、遊びでやっていました。そんな感じで10年過ごしていました。
-yabori:この10年間で少しづつ音楽性が変わったんですね。以前のインタビューでも、沖縄の音楽と出会ったという話がありました。それまで沖縄音楽にあまり携わってこなかったのに、何がきっかけで三線や沖縄音楽を面白いと思うようになったんですか?
ハクブンゴウ:大学時代にいろいろな音楽を掘っていく中で、レゲエを聴くようになったんです。メロディーがある音楽だけでなく、テクノを聴いても楽しいと思えるようになったり。それまで沖縄音楽は何が面白いのか理解できていなかったんですが、僕のおじさんが三線を弾いていて、たまたま生演奏を聴く機会がありました。その琉球古典を聴いて衝撃を受けました。それと同時に、レゲエの感覚から沖縄民謡を聴くと、新しい解釈ができるというか、“すごいことしてるな”と気づいたんです。非常にジャマイカ的だと思いました。当時の長老の方々はウチナーグチ(琉球語)で喋るんですが、それがジャマイカのパトワ語と似ていて、日本語の音とはかけ離れているんですよね。だから僕のフォークの感覚と、沖縄音楽への興味が微妙に並行して進んでいました。実際に三線を弾くことはなかったんですが、習う機会ができたのがちょうど10年前のインタビューの時期でした。ハクブンゴウとして1枚CDを出したあたりで、日本語のフォークは一旦区切りをつけようと思い、そこから三線中心になりました。未だに三線は下手なんですけど、オリジナルを作るよりは古典を弾いていた方がいいという感覚になっていました。
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