最終更新: 2026年2月7日
The StrokesがきっかけでInstagramで出会った、アルゼンチンのブエノスアイレス出身イネス・アダムとマルティナ・ニンツェルのふたりからなるインディーロックデュオ、Pacifica(パシフィカ)。
2021年結成というまだ短いキャリアながら、すでにLollapalooza Argentinaへの出演やMåneskinのオープニングアクトを務めるなど、その活躍はめざましい。
さらに昨年の2025年12月に行われた初来日公演のチケットは即完売となり、急遽追加公演が設けられるなど、日本でもこの人気ぶりである。
その人気は、結成当初から現在まで精力的に投稿されているYouTubeでのカバー動画がきっかけだろう。
ベランダや車の中、風呂場、キッチンなど至るところで撮影されているシチュエーションも興味深いが、The Strokesはもちろんのこと、RadioheadやThe Cranberries、Talking Headsなどのカバーを披露しており、ロックバンドに対する愛と造詣の深さを理解してもらうには充分すぎる内容である。
今回のPacificaとのインタビューは、海外側のエージェンシーを通じて彼女たちから直接コンタクトがあり実現した。
彼女たちのルーツから2025年10月リリースの最新アルバム『In Your Face!』について、そして日本との関係性と来日公演の感想まで余すことなく訊いた。
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アーティスト:イネス・アダム(Ines Adam) インタビュアー:滝田優樹(Yuuki Takita) 翻訳・編集・校正:BELONG Media / A-indie
Pacificaの始まり

InstagramとThe Strokesが繋いだ出会い
-滝田優樹:私たちはアーティストのルーツや音楽が生まれた背景、そして影響を受けた音楽・文化・芸術を大切にしているメディアです。今回私たちとは初めてのインタビューなのでまずはPacifica自体のことから教えてください。オンラインでThe Strokesがきっかけで仲良くなって、YouTubeでのカバー動画投稿から活動を始めたそうですね。改めて2人の出会いと経緯について、どのように出会って、どのように仲を深めて、YouTubeでのカバー動画投稿に至ったのか詳しく教えてもらえますか?
イネス・アダム:Instagramで出会ったよ。ソーシャルメディアが私たちを引き合わせてくれたのは面白いことで、というのも私たちはすごく近くに住んでいて、似たような趣味を持っていたから。でもブエノスアイレスはとても大きな街だから、もしかしたら一生出会わなかったかもしれない。マルティナ(マルティナ・ニンツェル)が彼女のThe Strokesのファンページから私をフォローして、私のThe Strokesのカバー動画の一つを投稿してくれたの。それが最初のつながりだった。その後、共通のフォロワーがマルティナに私たちは会うべきだって言ってくれて、実際に会ったのよね。最初はかなり気まずかった。インターネットで知り合った見知らぬ人と会うのは変な感じだから。私たちの音楽の趣味が、最初の恥ずかしがりな出会いを乗り越えるきっかけになった。一緒にThe Strokesの曲を演奏して、音楽的なケミストリーが生まれていたの。すぐにカバー動画を投稿して、ポジティブな反応があったから、また一緒にやりたいって思った。すごくマジカルな感じだったよ!私たちの友情は時間をかけて育っていって、今でも毎日成長しているんだけど、ニューヨークシティが大きなターニングポイントだった。思いつきで一緒に旅行してライブをやってみようって、リスクを取ったの。そのニューヨーク旅行中にレーベルから連絡をもらって、事態がシリアスになった。私たちはお互いを思った以上に信頼できるってわかったし、Pacificaを実現させるために十分クレイジーだったのよね。
ユニークなロケーションでのカバー動画
-滝田優樹:The Strokesのカバー動画も拝見しました。演奏よりもまず、ベランダや車の中、風呂場、キッチンなど至るところで撮影されていることに驚いたのですが、これはどのような経緯で? YouTubeでの動画投稿ということなのでサムネイル画像から興味を持ってもらえる可能性は高まると思いますし、見せ方が上手いと感心しました!
最初にやったカバーはThe Strokesの「12:51」で、私のベランダで撮影したの。それはただ、すごく暑い日で、録音中は扇風機をつけれなかったから。だから外に出たのよね。コメントの多くがベランダについてだったことに気づいた。自然な感じが出ていたのかな。ベランダで好きな曲を演奏している二人の女の子っていう感じ。だから面白いと思って、楽しみながらいろんな場所で録音することにした。時には曲のテーマに沿って、「Meet Me In The Bathroom」のような場合もあったし、「Girl」のカバーではThe Beatlesのルーフトップパフォーマンスへのオマージュもやった。私のお気に入りは、動いている車の中で撮ったTom Mischの「Movie」。ライブでどうやって録音するか考えるのが大変だったけど、仕上がりがとても気に入っているよ。
ブエノスアイレスのロックミュージック
-滝田優樹:あなたたちの出身であるブエノスアイレスの音楽にも興味があります。ブエノスアイレスではどのような音楽の歴史があって、今はどのような音楽があなたたちの世代の人には受け入れられているのでしょうか。Lollapaloozaもアルゼンチンで開催されるようになって、より音楽的な土壌が豊かになった印象です。私はシューゲイザーが好きなのでアルゼンチンだとまず最初にAsalto al Parque Zoológicoを思い浮かべました。
アルゼンチンには素晴らしいクオリティのロックミュージックの歴史があるよ。チャーリー・ガルシア、ルイス・アルベルト・スピネッタ、グスタボ・セラッティのようなアーティストたちが今でもシーンにインスピレーションを与え続けてい。ロックミュージックが一番人気じゃない時期でも、今みたいに、演奏したいと思う若者たちのコミットしたシーンがいつもあるのよね。私たちはロックミュージックと特別な絆を持っているように感じるし、それは確実に国としてのアイデンティティの一部になっていると思う。
音楽に囲まれた幼少期
-滝田優樹:続いてそのようなブエノスアイレスであなたたちはどのような幼少期を過ごして、何がきっかけで音楽をやることになったのでしょうか。
私はいつも音楽が大好きだった。音楽に囲まれて育ったの。母は聖歌隊で歌っていて、家ではBlurやRadioheadをかけていた。父はギターを弾いて、ミロンガやタンゴのようないろんな種類の音楽を私に聴かせてくれた。一番大きな影響を受けたのは兄で、彼が世界で一番クールな人だと思っていたから。だから兄のプレイリストを盗んで、彼が聴いていた音楽を好きになった。兄が好きなものは私も好きだった。兄の服も着ていたくらいにね。覚えている限り早い時期から歌い始めて、12歳の時にギターを弾き始めた。YouTubeのトラックなしで歌えるようになりたかったから。その後すぐに曲を書き始めた。知識が少ないほど、創造的になれることもあるのよね。ルールなんてないから。
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