最終更新: 2025年11月8日
Cigarettes After Sex「Anna Karenina」解説

この楽曲における主人公は、秘密を抱えながら生きる存在である。
冒頭では、どこへ行くのか、何をしているのか、誰といたのかを一切明かさないという告白が語られ、隠された関係性の本質が浮き彫りになる。
しかし同時に、この愛は強烈な束縛を伴っている。「もう逃れられない」「決して自由になれない」というフレーズには、愛という名の牢獄が描かれており、それは甘美でありながら痛みを伴うものだ。
まさにアンナ・カレーニナが経験した、社会からの孤立と内面的な苦悩を現代に置き換えたものと言えるだろう。
「自殺の夢」とは
歌詞にある”suicide dreams”(自殺の夢)という強烈な言葉は、この愛が持つ破滅的な側面を象徴している。
それは文字通りの死への願望であると同時に、社会的な死、自己の消滅、あるいは理性の放棄を意味するものである。
アンナ・カレーニナが経験したのは、まさにこの「生きながらの死」であった。
夫カレーニンとの形だけの結婚生活から逃れ、ヴロンスキーとの情熱的な愛に身を投じた彼女は、社交界から追放され、息子との面会も許されず、精神的に追い詰められていく。
最終的に彼女が選んだのは、列車という近代化の象徴への投身であった。
この楽曲における「自殺の夢」は、愛する者がこの危険な領域をさまよっていることを知りながらも、それを止めることができない無力感を描いている。
「君は知っていた 僕が君のものだと」という一節は、破滅への道を歩む者と、それを見守る者との共犯関係を暗示している。
「深くて痛みを伴う愛」とは
“It was a deep and painful love”(深くて痛みを伴う愛)というフレーズは、この楽曲の核心だ。愛は本来、喜びや幸福をもたらすものと考えられているが、ここで描かれる愛は、深ければ深いほど痛みを伴う。
それは、社会規範を超えた愛であり、道徳的な境界線を越えた愛であり、自己を犠牲にする愛である。
アンナが経験したように、そうした愛は孤独を生み、嫉妬を生み、絶望を生む。しかし同時に、それは最も純粋で、最も情熱的で、最も真実の愛でもある。
「僕は決して自由にはなれない もう 自由には…」という繰り返しは、この愛が持つ永続的な束縛を表現している。
一度この愛を知ってしまった者は、もはや以前の自分には戻れない。自由を失うことで得られる何かがそこにはあるのだ。
音色が描く、静かな破滅

しかし、この楽曲で新たに導入されたスポークン・ワードのセクションが、従来の作品とは異なる緊張感を生み出している。
語りかけるような口調で綴られる秘密と告白は、リスナーを物語の中へと引き込む。
それは、親密な空間での独白のようであり、同時に観察者としての距離感も保っている。
歌詞が描く陰鬱で自己破壊的な世界とは対照的に、メロディは美しく、ドリーミーでさえある。
この音の美しさは、悲劇的な物語の中に確かに存在する、純粋な愛情のきらめきを表現している。
この「Anna Karenina」は、単なるラブソングではない。それは、愛と破滅、自由と束縛、美と痛みという、人間存在の根源的な矛盾を描いた、文学的な楽曲である。
トルストイの傑作に捧げられたこのレクイエムは、現代においても色あせることのない、普遍的なテーマを私たちリスナーに投げかけているのだ。
Cigarettes After Sexリリース情報
「Anna Karenina / The Crystal Ship」
発売日: 2025年10月22日
レーベル: Partisan Records
収録曲:
- The Crystal Ship (The Doors カバー)
- Anna Karenina
『X’s』(2024年)
発売日: 2024年7月12日
レーベル: Partisan Records
収録曲:
- X’s
- Tejano Blue
- Hot
- Silver Sable
- Dreams From Bunker Hill
- Baby Blue Movie
- Holding You, Holding Me
- Dark Vacay
- Ambien Slide
- Hideaway
Cigarettes After Sex プロフィール

2008年、フロントマンのグレッグ・ゴンザレスを中心に米テキサス州エル・パソにて結成されたドリーム・ポップ/アンビエント・ポップ・バンド。2017年のデビュー・アルバム『Cigarettes After Sex』は世界的な成功を収め、「Apocalypse」はSpotifyで20億回再生を突破。『X’s』ツアー中に世界中で75万枚以上のチケットを販売し、マディソン・スクエア・ガーデン、O2アリーナ、キア・フォーラム、そしてアジア各地のアリーナでの公演は完売した。現在、月間リスナー数は3,000万人を超える。メンバーは、グレッグ・ゴンザレス(Vo./Gt.)、Jacob Tomsky(Dr.)、Randall Miller(Ba.)の3人。
ライター:Tomohiro Yabe(yabori)

BELONG Media/A-indieの編集長。2010年からBELONGの前身となった音楽ブログ、“時代を超えたマスターピース”を執筆。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル・後藤正文が主催する“only in dreams”で執筆後、音楽の専門学校でミュージックビジネスを専攻
これまでに10年以上、日本・海外の音楽の記事を執筆してきた。
過去にはアルバム10万タイトル以上を有する音楽CDレンタルショップでガレージロックやサイケデリックロック、日本のインディーロックを担当したことも。
それらの経験を活かし、“ルーツロック”をテーマとした音楽雑誌“BELONG Magazine”を26冊発行。
現在はWeb制作会社で学んだSEO対策を元に記事を執筆している。趣味は“開運!なんでも鑑定団”を鑑賞すること。
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Twitter:@boriboriyabori












