最終更新: 2015年1月9日

シロップである。シロップ再結成、8年ぶりのアルバムである。笑っちゃうほど変わっていない、シロップ16gそのものだ。もちろん良い意味で。少し地味には感じられたけど、病み上がりバンドに最高傑作など求めやしない。彼らは現在ロックシーンの中心にいるような「内情吐き出し型ギター・ロック」とでも言うべきバンド群に影響を与えた側の存在なはずだが、久しぶりにその音を聴くと空間系エフェクトに浸かったアルペジオやクリーン・コードは80年代のザ・スミスやザ・ポリスのようなニューウェイヴの流れにあり、攻撃的な楽曲で鳴らされるディストーション・サウンドもどこがくぐもって聴こえ、近年の流行とは無縁のものに聴こえる。

また、 3 ピース・バンドをちゃんとやってる、という印象も強くある。彼らの解散理由の1つとして五十嵐が書く曲がフォーク(弾き語り)的なものとして成立してしまうのに対し、五十嵐自らはバンド・サウンドのダイナミズムを信じそれを全うしたいという自己矛盾があったのだが、今回はうまく折り合いがついたように見える。楽しそうにバンドやってる、というのは僕の誤解なのだろうけど(本人はアレンジ考えるのキツかったようだが)、ファンク要素の強い「メビウスゲート」、歌メロをそのままギターリフがなぞる「Share the light」などを聴くと、3ピースという限られたフォーマットの中での面白さを感じずにはいられない。

リリックにおいては五十嵐が音楽活動から離れた生活から生まれた実感がにじみ出ており、この辺りは冒頭の文章を翻すようではあるが微妙な変化がある。絶望と諦観、憎悪とナンセンスを横断しながら吐き出されていたかつての言葉達は、前作『Syrup16g』から本作を経て、脆そうにフラフラとしながらも穏やかなものに変わっている。それは同じく8年の年月を経た僕のようなリスナーにも、よりフィットするように思えるのだ。波を立てない穏やかな暮らし。「理想的」ではないが「破滅的」でもないスピードで、俺は歩んでいきたいだけなんだ――。これは意志 だ。ガム・シロップのように甘美なシューゲイズ・ノイズの中へ逃避してきた彼らの戯言の中に鈍く光る意思なのだ。ラストの「旅立ちの歌」で聴ける、己を鼓舞するようなどっしりとしたリズムと、異様にポジティヴな言葉たち。そしてそれをギリギリのラインで留保する「もうあり得ないほど嫌になったら逃げ出してしまえばいい」という誠実な一文。これもまた意思であり、逃避者の意地でもある。弱々しく脆いバランスの上に立ったささやかなポジティヴィティーは、過去の楽曲「Reborn」や「My Song」と同じように強い説得力を持つ。

【Writer】たびけん(@02tabiken02)

“Syrup16gの『Hurt』”と聞いてそのシロップらし過ぎる感じにニヤけてしまい、先行公開曲のタイトルが『生きているよりマシさ』でさらにらし 過ぎて思わず吹き出し、実際に曲を聴いてまさにらし過ぎて爆笑する、そんな楽しみ方が許されるだろうか。許されるとしたら、“日本が誇る鬱ロックバンド” (そんなもん誇んなよ、という声が聞こえる)Syrup16gまさかの再結成後初のリリースとなる本作は、過去最高に笑ってしまう、素敵なアルバムであ る。

真面目な話、「破滅の美学」がどうこうと絶叫していた“元”ラストアルバムにもあるようなダークな側面はシロップを語る際よく取り上 げられるが、それよりもここで注目したいのは、シロップ=五十嵐隆が持つ変なテンション、変なユーモアセンスである。語呂合わせでシュールな光景を描いて みたり、明らかに変な歌詞で絶叫したりする、彼の不真面目なセンスこそ、シロップの憂鬱な世界観をより面白く、かつより救いようがない感じにしているとぼ くは考える。その光景はまるで、普通に考えたら絶望的なシチュエーションを面白おかしく投稿してふぁぼやリツイートを稼ぐ数多の“twitterのブラッ クユーモア芸人”達に少し似ていないか(座布団やカミソリが飛んできそうだ)。

そんな不真面目な目線で眺めれば、今作は面白いことだらけ である。3ピースロックバンドの枠組みの領域を若干ではあるかもしれないが広げてきた彼らが新たに繰り出した「なんでそんな拍子になっちゃったんだよ」ナ ンバー「Stop Brain」の脈拍のおかしいくせにキャッチーな感覚や、より「は…?」って感じの曲展開をする「哀しき Shoegaze」、解散以降の五十嵐のポートレート的でありすぎるためにかえって笑えてくる「生きているよりマシさ」、アルバム終盤にして突如テンショ ン吹っ切れて「次のステージがDestination」などと分かるような分からないようなことを叫びだす「宇宙遊泳」等々々…。

歌詞にサウンドに、節々から漏れだす変なユーモラスさは、本人曰く「純粋にバンドの面白さみたいなものを取り戻しにかかった」という本作の根本的なポジティブさ により解散前の陰鬱さが後退したことにより、よく見えやすくなったように思う。「シロップには僕たちの絶望のシンボルであってほしかった」的なリスナーの 受けは良くないかもしれないが、狂気が狂喜を呼ぶような“ブラックユーモア芸人”としての五十嵐隆はまだ相当可能性を有しているのでは、とぼくは興奮している。「再結成おめでと うございます」とか言ってる場合じゃない、彼らにはどこまでもこの迷走感でもって、無責任にのらりくらりやっていてほしい。それこそ今作最後の曲の歌詞に あるように「もうあり得ない程嫌になったら/逃げ出してしまえばいい」んだから。

【Writer】ŠŠŒおかざきよしとも(@YstmOkzk)