最終更新: 2026年4月26日

パースという土台

Stella Donnelly

出身地が育んだ政治性とサウンド

-滝田:パース出身であることは、今のあなたや音楽スタイルにどのような影響を与えていますか? 参考までに、同じオーストラリア出身のヘイゼル・イングリッシュ(Hazel English)はビーチの環境が創造性を育んだと話してくれましたし、Hatchieはメルボルンのライブシーンが音楽の糧になったと語ってくれました。

ステラ:私の場合は、家庭環境が大きかったと思う。ミッドナイト・オイル(Midnight Oil)、ポール・ケリー(Paul Kelly)、ヨス・ユンディ(Yothu Yindi)といった、オーストラリアの暗い部分を歌ってきたアーティストたちを聴きながら育ったの。美しい場所に住んでいたけれど、両親や彼らの音楽を通じて、すべてのオーストラリア人にとって暮らしやすい場所ではないということを教わった。パースのような炎暑の街で、鉱山会社や差別的な政治家が多くの人々にどれほどの影響を与えてきたか、そういったことが自分の歌詞に影響しているんだと思う。一方で、ビーチや豊かな自然はサウンドの方に影響していて、つまり政治的な怒りを帯びた歌詞と、穏やかで美しいサウンドの組み合わせ、それがパース出身であることの表れかな。

影響を受けた3枚

音楽のルーツ、3枚のアルバムとエピソード

-滝田:BELONG Mediaはアーティストのルーツや、音楽が生まれた背景、影響を受けた音楽・文化・芸術を大切にしているメディアです。あなたの音楽に影響を与えたアルバムを3枚挙げていただけますか?それぞれどんな部分に影響を受けたか、エピソードも聞かせてもらえると嬉しいです。

ステラ:1枚目はビリー・ブラッグ(Billy Bragg)の『Workers Playtime』ね。政治的な曲とラブソングを見事に組み合わせていて、幼い頃によく聴いていたわ。


2枚目は、24歳の時に出会ったブロードキャスト(Broadcast)の『Tender Buttons』。美しくないはずのノイズが実はとても美しいというコントラストに衝撃を受けて、その感覚が大好きになったの。


3枚目はポール・ケリーのグレイテスト・ヒッツ。少し恥ずかしいんだけど、家に両親が持っていたアルバムがあって、自然に聴いていた感じで。彼は素晴らしいストーリーテラーで、オーストラリア特有の物語を見事に語れる人だと思う。

音楽への情熱と距離

Stella Donnelly『Love and Fortune』

一度離れることの意味

-滝田:ここからは最新アルバム『Love and Fortune』についてお聞きします。制作前に一度音楽活動から距離を置かれていましたね。前作『Flood』の前にも同様の時期があったと思います。一度離れることが、あなたにとって創作の通過儀礼のようになっているのでしょうか?ご自身の選択として距離を置いたのか、やむを得ない状況だったのか、そのことがあなたの制作スタイルにとってどういう意味を持つのか、聞かせてください。

ステラ:『Flood』の前はコロナ禍もあって間が空いた部分もあるんだけど、あの時間があって本当に良かったと感謝しているの。今回は、ツアーを続けるうちにとても疲弊してしまって、そのままでは良い曲が書けないと感じていた。次のアルバムを作るなら、まずしっかりとツアーを止めなければと思って、その間にパン屋で働きながら、毎日同じことをルーティンとしてこなす日常をきちんと生きたの。そうすることで、また音楽に戻ってくることができた。実は次の作品もすでに半分ほどできていて、今回のアルバムがとても静かで内省的な雰囲気だったこともあって、書いている途中から自分のエネルギーが変わってきて、また違う感触の曲を書き始めているのよ。次はそれほど間が空かないと思う。

情熱を取り戻すということ

-滝田:少し個人的な話になりますが、私と同じような仕事をしている友人が、以前ほど音楽に興味を持てなくなったと話していて、どう声をかけたらいいかわからなかったんです。今回、あなたも一度音楽と距離を置いたというお話を聞いて、この部分をその友人にも読んでほしいという気持ちで先ほどの質問をした部分もありました。

ステラ:私の場合は、音楽でお金を稼ぐことをやめても構わないと決めた瞬間から、情熱が戻ってきたの。音楽と生計を立てることを切り離して、自分の音楽・自分の作品を第一に考えることにして、生活費は別の仕事で稼げばいいと割り切ったことで、情熱が戻ってきた。2つを混ぜてしまうと本当に難しくなってしまうから、それなら音楽は音楽として純粋なままにして、9時から5時の仕事を終えてから音楽をやる、自分は絶対そちらの方がいいと思っているわ。

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